僕がバレエを習い始めたのは7歳のときです。

「踊ることで、あれほど人を熱狂させるなんてスゴイ」と、マイケル・ジャクソンに憧れたのがきっかけでした。小さいころから身体を動かすことが大好きで、サッカーやバスケにも熱中しました。でも、それ以上に、踊ることが楽しかった。

 映画で印象に残った場面は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)にある名門のワガノワ・バレエ・アカデミーに編入したヌレエフの行動です。17歳で、エリート集団の仲間入りを果たして早々に、技術不足を指摘される。なのに「指導者を変えて欲しい」と校長に直談判する。

 自分は、とてもまねできない。でも、「絶対にうまくなってやる」という彼の心の叫びが、痛いほど伝わるシーンでした。

 談判の結果、新たに出会った指導者のプーシキンが彼に投げかける、「なぜ踊るのか」「どんな物語を語りたいのか」というセリフは、ダンサーにとってドキリとさせられる言葉です。

 僕も中学、高校生になるとコンクールで受賞する機会が増え、「もっと美しく踊りたい、うまくなりたい」という願いは、より強くなっていきました。

 2003年、19歳のときに文化庁在外研修員に選ばれ、チューリヒ・バレエ団に入りました。スイスは、ドイツ、フランス、イタリア、ロマンシュの四つの言語を公用語とする国です。役柄の振り付けもフランス語で行われるので、もうお手上げです。英語での意思疎通すら思うようにならず、気持ちも身体も、どんどん萎縮していきました。

 そうした僕の様子が、芸術監督に嫌われたのでしょうね。舞台のリハーサルで踊っていると、芸術監督が、「外れろ」と僕に手まねで合図を送ってくる。キツイですよ。半年ほど寮の部屋に引きこもる生活を続けた僕を、現地でできた友人たちが「外に出た方がいい」と連れ出してくれた。

 バレエ団にも少しずつなじみ、そこからは、がむしゃらにバレエに取り組みました。気がつくと3年目には、シェークスピア原作の『真夏の夜の夢』で踊りの見せ場も多い妖精パック役に抜擢(ばってき)され、他の舞台でも主要な役を任されるようになっていました。

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ヌレエフが愛された理由とは