5月20日の引退会見で引退を表明した巨人の上原浩治投手 (c)朝日新聞社
5月20日の引退会見で引退を表明した巨人の上原浩治投手 (c)朝日新聞社

 巨人の上原浩治投手(44)が5月20日に東京都内のホテルで引退会見を開いた。日米21年目で異例となるシーズン途中での引退だった。

「(開幕から)3カ月が僕の中では勝負と決めていた。8月、9月になるとチームが首位争いという状況になる中でこういう会見をするのは違うと思った」

 入団以来ブレなく筋を通してきた上原らしかった。

 高校時代から名をとどろかせていた歴代の巨人のエースとは異質の系譜だった。大阪・東海大仰星高では建山義紀(元日本ハム)の控え投手。体育教師を目指し、1年間の浪人生活を経て大阪体育大学に進んだ。そして「雑草魂」を胸に、1998年秋のドラフト1位で巨人へ。背番号「19」は、浪人した19歳の苦しい1年間を忘れないようにするために選んだ。

 プロ1年目に20勝を挙げ、新人王、沢村賞にも輝いた。2009年から大リーグに挑戦し、レッドソックス時代の13年に日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手に。巨人に復帰した昨年7月には、日本球界初の日米通算100勝、100ホールド、100セーブの「トリプル100」を達成した。

 昨オフに左ひざの手術を受けて今年の活躍を期したが、球威不足で開幕2軍スタート。1軍で登板機会がないまま引退を決断した。

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