――監督と同時にヌレエフの恩師プーシキン役も演じていられます。ロシア語も勉強されたそうですね。

「僕のロシア語は最低限度に話せる程度のものだよ。今回の映画の中の台詞は、かなり専念して学ばなければならなかった。ロシア語は、過去にも何度か学んだことはある。でもあまり話していないので、慣れるのには時間がかかったんだ」

――今回主役ヌレエフ役に、現役プリンシパル・ダンサーで演技の経験のないオレグ・イヴェンコを起用しましたね。俳優としての関係は、スクリーン上の教師と教え子的関係に近かったですか?

「困難な道を一緒に歩んだ。お互い二人とも多くの事を学んだと思う。オレグにはこの役が演じられると僕は信じていた。ひょっとしたら彼は経験が浅くて無理かもしれないという不安が湧く可能性もあった。しかし撮影の初日ルーブル美術館のシーンを撮った時に、彼にはできると確信した。英語の台詞をこなすため大変な勉強も必要だったが、それも克服してくれて、僕らには強い絆が生まれたんだ」

――ロシア作品にも多く出演しているようですが、あなたのロシア文化への愛につい教えて下さい。

「初めてロシアを旅したのは、1997年イギリスの劇団でチェコフの公演を行ったときのことだった。とてもエモーショナルな体験だった。というのも、ロシア作品をイギリスの劇団が公演するというものだったからだ。同じ旅で、妹のマーサはロケのハンティングをすでに始めていた。僕らが伴に映画化を予定していた『オーネギン』のために。モスクワの空気を満喫したと同時に、トレチャコフ美術館と言うような名所を訪ねて開眼させられたりもした。また夜行電車に揺られ、セント・ペテルスブルグに向かった。これまたロマンティックな体験だったな。4月だったがまだ雪のある、セント・ペテルスブルグに到着した。僕の頭の中は『オーネギン』の19世紀の世界のことでいっぱいだった」

――ヌリエフはアウトサイダーでした。あなた自身アウトサイダーと感じたことはありますか

「イエス。高校時代、アウトサイダーだったね。スポーツがあまり得意ではなくて、スポーツ・マンの級友と自分は違うんだと常に感じたし、仲間に入ろうとすると拒まれた。それも理解できた。でも友達がいないわけではなかったが。18歳で美術大学に入学すると、高校の雰囲気が全く異なりずっと自分に自由になれた。やっと自分の人生を生きているんだと感じられるようになった。高校時代は、自分の人生が始まるのを待っていた気持ちだった」

――踊りを習ったたことはありますか?

「ない。とても踊りが下手なんだ(笑)。絵を描くのは好きだし上手い。若いころ、自分が話が得意であることを発見したんだ。戯曲をうまく解釈できることも発見した。授業で指名され、立ってシェイクスピアについて語るとき、すらすらと言葉が出てきた。僕の場合はシェイクスピアが得意だったんだよ。演劇言語に非常に興味沸いた。シェイクスピアが好きだから俳優になりたいと思ったんだよ」(取材と文/高野裕子)

※週刊朝日オンライン限定記事