この34年前、皇太子さま(当時)との婚約が整った美智子さまも、皇室に入ることへの思いを宮内記者会に問われ、文書でこう答えている。

「よい家庭がつくれて、それが殿下のご責任とご義務をお果しになるときのなにかのお心の支えになり、間接的な、ちいさなお手伝いとしてお役に立てばと心から望み努力をしたいと思っております」

 まさに「嫁ぐ」にあたっての心境で、1934年=昭和一桁生まれの美智子さまにすれば当たり前のことだったろう。一方雅子さまの「皇室という新しい道で自分を役立てる」という言葉は「転職」の決意で、それは均等法第1世代にすれば当たり前なのだと思う。

 しかし雅子さまを待っていたのは、働くよりお世継ぎという世界だった。それを端的に語ったのは、皇室医務主管を務めた金澤一郎さんだ。退官直後のインタビューでこう証言している。

「ご成婚前に、いわゆる『皇室外交』もできるからと説得をお受けになったようですね。ただ、皇室に入られてから、想像されていたことと違うことがさまざまおありだったと思うのです。皇室では、外国の王室も同様ですが、まずは『お世継ぎ』を期待されます。しかし、初めの六年半はお子さまに恵まれなかった」(「文藝春秋」12年8月号)

「皇室外交できますよ」と言われて皇室に入った雅子さま。「約束と違う」と思っただろう。「そういうものだろうな」とは思えない均等法第1世代ゆえ、雅子さまは皇室の現実に苦しまれたに違いない。

 同時に、お世継ぎ問題さえクリアすれば、雅子さまはオールハッピーになっていたのか、という疑問もわいてくる。

 冒頭に紹介した「青少年読書感想文全国コンクール表彰式」に話を戻そう。

 表彰式後、お二人は受賞した子どもたちと懇談した。すぐに雅子さまは膝を曲げ、受賞した少女と同じ目の高さになった。次いで、陛下も同じ目の高さに。笑顔の雅子さま。

 こういう式への出席に、雅子さまは葛藤されたのではないかと想像する。読書感想文が問題なのではない。壇上で夫である方の横に座る。そういうことが雅子さまにとって、「自分らしい仕事」と感じられるかという問題だ。

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