その後、Aさんと親しかった、右翼団体幹部宅でも発砲事件があった。またも取り調べを受けることになったAさん。

「何回言えばいい? アリバイがあるんだよ」

 こう繰り返すAさんに、それまで「実行犯」だと言っていた刑事はこう話したという。

「依頼殺人ってこともありますから」「ハワイのけん銃写真もある」と言い「犯人扱い」はかわらなかった。何としても捕まえたいという警視庁の執念をAさんは感じたという。

 2005年にまた取り調べられた。若いころから知っている、知人がAさんに「社長、体調が悪くて、病院に行きたいのだけど、ちょっとカネがなくて」と電話をかけてきた。

 その知人は若い時、暴力団組員だった。今は足を洗っていると聞き、Aさんは10万円ほどを社員に持たせて、知人に届けさせた。

 しかし、その時に知人は元暴力団組員としてある事件で、指名手配されていたという。それから数日後の朝、いきなり刑事がやってきた。

「今日は、署まで来てもらう。元暴力団組員の知人にカネ渡したでしょう」

 逮捕するような勢いで警察車両に押し込められ、Aさんは連行された。

「任意同行を拒否したが、刑事は有無を言わせない。ナンペイではなく別件で逮捕してなんとか、私を自白させようとする魂胆であることがわかった」

 Aさんはこう振り返る。刑事は指名手配となっている知人にAさんがカネを渡して、逃亡させようとした、逃亡ほう助容疑と主張した。Aさんは指名手配も知らないし、20年近く付き合いがあったので、人助けと思ってカネを届けただけと対立。Aさんは弁護士を呼んで事情を説明し、深夜になって、ようやく解放された。

「任意同行で連れていかれると、すぐに指紋や写真、DNAまで採取する。完全に犯人扱いですよ。刑事は勝ち誇ったような顔で私をナンペイでも逮捕するんだという感じだった。しかし、その知人がきちんと話してくれ、私の嫌疑は晴れ、逮捕されることはなかった。それでも刑事は『Aさん、どうしてそこまで徹底抗戦、否認するの』『ハワイのけん銃写真がある』とぬかしやがる。アリバイも警視庁が認めているのに…」

 だが、その後もAさんの周辺の捜査は続く。時効があと1年と迫ると、警視庁に加えて、マスコミもやってくるようになった。
ひどいときには、3~4台のマスコミの車がAさん宅を取り囲み、散歩に行くと、カメラを持ち、後を追いかけてくる。

「ナンペイをやったのですか」
 こう単刀直入に聞いてくる記者もいた。

ついには「ナンペイ事件 最後の重要参考人Z」という記事も出る始末だった。

「なぜ私がZなのかと、記者に聞いたら、もう他に重要参考人はいない、最後だと警視庁がいうので、アルファベットの最後の文字、Zにしたというんです」(Aさん)
 

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最後の取り調べで乱闘寸前に