こう言われると、刑事2人が両脇をガードし、Aさんは警察車両に乗せられた。高速道路をサイレン鳴らして、警察車両は猛スピードで走り抜ける。連れていかれたのは、霞ヶ関にある警視庁だった。到着すると、取調室に通された。

「あそこで、オウム真理教の麻原彰晃の調べをやってんですよ」

 刑事の一人がAさんにこう耳うちする。

「犯人にされたような気持ちだった」

 Aさんはこう振り返る。いきなり、警視庁での取り調べ。Aさんが犯行にかかわっている実行犯の可能性が高いと見ていたのだ。刑事はAさんに自信あり気にこう尋ねた。

「よく銃を撃つんでしょう」

「銃に詳しいそうですね」

 Aさんには身の覚えがないことばかり。そしてAさんはとんでもないことを、知らされた。稲垣則子さんの自宅を警視庁が捜査したところ、なんとAさんがけん銃を手に、射撃をしている写真が出てきたのだ。

「当時、ハワイとかに友人と行って射撃をしたりしていた。帰国して、一緒に行った連中とハワイの写真を見ながら、則ちゃんのお店で飲み会をしたこともあった。その時、則ちゃんが何枚か写真を持っていたようで、それを警視庁が発見。私が犯人だと、狙いをつけてきたのです」

 だが、Aさんには事件当日、明確なアリバイがあった。ナンペイの犯行時刻には友人と食事をしていたのだ。それを何度も刑事に説明。その日は夜になって、取り調べから解放された。だが、その後も取り調べは頻繁にあり、八王子署では目立つと高尾署や周辺の警察施設などで、話を聞かれたという。

「刑事は『Aさん、あなたの評判はキレると何するかわからないとヤクザが言っている』『面倒見がいいとも聞いている』と刑事は意味ありげに言ってくる。そして、私がけん銃を持っているハワイの写真のことを繰り返す。こちらはいい加減にしろと怒鳴り合いになりました」

その後も、警視庁は常にAさんの行動を監視。

「今日、高尾のインターで降りて、そば食ってましたね」
などと刑事がAさんを訪ねては、脅す日が続いた。

そして、事件から7年が経過した2002年5月17日深夜--。
Aさんの会社でものすごい音がした。よく見ると、会社の側壁にある窓ガラスにけん銃らしきものが撃ち込まれていた。すぐに八王子署に通報。
警察官が来て、弾痕を確認。だが、夜も遅かったのですぐに引き上げた。

すると、その翌日に再度、確認したいと八王子署がやってきた。
Aさんは別室で仕事をしていたが、すいぶん長く調べている。

「おかしいなと思って、外を見たら刑事が10人以上も私の事務所、家までも調べている。その顔をよく見たら、ナンペイで私を犯人扱いして調べている刑事。すぐに外に飛び出して『この野郎、何してんだ』と文句言うと『いや、ちょっと応援ですよ』『おい、みんなもう捜索は終わり、解散、解散。けん銃みつからない』だってさ。こっちは被害者だよ。それなのに、ナンペイのけん銃がないか探しにきてんですよ。ほんと、頭にきちゃいますよ」

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「依頼殺人もある」と刑事