3人が射殺されたスーパーナンペイ事件 (c)朝日新聞社
3人が射殺されたスーパーナンペイ事件 (c)朝日新聞社
射殺された稲垣則子さん (c)朝日新聞社
射殺された稲垣則子さん (c)朝日新聞社

 いよいよ平成が終わり、元号が5月1日から「令和」と変わる。

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「なんとか、平成の事件だから、平成で解決したかったな」
 
 こう話すのは、警視庁捜査関係者。手掛けているのは、1995年7月30日夜、東京都八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」でパート従業員の稲垣則子さん、アルバイトの女子高生2人が何者かに射殺された事件で、今も未解決のままだ。

 当初は2010年7月で時効となると思われていた。それが2010年の改正刑事訴訟法で殺人事件については時効が撤廃されることが決まり、現在も捜査が続いている。

「オレはこの事件のおかげでひどい目にあった。誰よりも早く犯人が見つかってくれるのを願っているよ」

 こう語るのは、八王子市の会社社長Aさんだ。
 事件発生から、時効があと1年とカウントダウンされるころまで、ずっと警視庁とマスコミに追いかけられた「疑惑の男」だった。本誌に初めて、ナンペイ事件について語ってくれた。

 Aさんがナンペイ事件を知ったのは、事件当日の深夜ニュースだった。

「パトカーのサイレンの音がけたたましく鳴るので、何があったのかと思ったら、3人も射殺だと。とんでもねぇ~と思ってテレビのテロップを見たら、ナンペイで射殺されたのが則ちゃん(稲垣則子さん)と出た。ひっくり返りそうになったよ。なんでって絶句したよ」

 射殺された被害者の1人でもある稲垣則子さんは、八王子市内でスナックを経営していた時期があり、その時にAさんと親密な関係になった。週に数日、稲垣さん宅に泊まることもあったという。ナンペイでの仕事についても相談を受けたことがあった。

「店の警備が不十分で、毎日、レジの計算で1万円があわないというのも怖いと言っていた。辞めればと俺が勧めて、一度は彼女は辞めた。だが、ナンペイの役員が『なんとか戻ってくれ』というので、仕方なく復帰した日に事件が起こった」(Aさん)

 数日後、稲垣さんの葬儀にAさんは出向こうとした。だが、数多くのマスコミが葬儀場を取り囲んでいるのをみて、参列をとりやめた。あらぬ疑いをかけられるのが嫌だったからだ。

 そして、事件から半年ほどした時だった。Aさんが外出すると決まって同じ車が追尾してくる。一方通行で急停止すると、すぐ横に見慣れぬ車がいた。おかしいと思い、ナンバープレートを控えて、知人の警視庁関係者に調べてもらったところ、警察車両だった。それも、ナンペイ事件の捜査とわかった。Aさんは知り合いの多い八王子警察署に乗り込んだ。

「コッソリと追いかけてくるな。オレは事件に何も関係ないよ。いつでも話してやるから、会社に来い」

 こう啖呵を切って名刺を置いてきた。すると翌日、本当に刑事が来た。

「すみません、警視庁ですが。名刺を置かれたので、話を聞きに来ました。ちょっと、都内までご足労を」

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今西憲之

今西憲之

大阪府生まれのジャーナリスト。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。「週刊朝日」記者歴は30年以上。政治、社会などを中心にジャンルを問わず広くニュースを発信する。

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