吉田さんは、陛下が幼い愛子さまを大事に抱いている様子や、ご静養地で地元の人と会話を交わす様子などさりげない表情をカメラに収めて来た。気になるのは、その情報の正確さ。どういう方法で得ているのだろうか。

「追っかけ仲間から教えてもらったり、ご夫妻が地方に行かれる時は県や市に問い合わせたりします」(同)

 そんな吉田さんだったが、雅子さまが体調を崩された時には一時的に活動を休止した。

「雅子さまが公務をお休みになり、お出かけもほとんどなくなったころは、4年くらい、私も追っかけを休みました」(吉田さん)

 前出の白滝さんも同じく活動を休んだ。それでも、雅子さまの公務復帰とともに「現場」に戻って来た。

「雅子さまが体調を崩されたのをきっかけに、私も追っかけの活動を休み、仕事を始めました。でも今では仕事をしながら追っかけをしています」(白滝さん)

 白滝さんによると、雅子さまの追っかけは12人ほどで、女性がほとんど。最近は20代の男性も見かけるが、多くは高齢化しているという。

「追っかけは昔から続けている人が多いので、高齢化してきています。私は理解のある左官業の夫が3年前に亡くなった。私は体が動けなくなるまで、ずっと雅子さまの追っかけを続けるつもりです。それが元気の秘訣だから」(同)

 高齢でやむなく、諦める人もいる。千葉県に住む広川オリエさん(84)は20年間追っかけ主婦をしたが、6年前に辞めた。一人息子が独立し、定年退職した夫と2人で暮らしている。

「血圧が高く、糖尿やぜんそくの持病もあるんです。クスリを飲みながら『雅子さまと会える日』を生きがいに追っかけをしてきましたが、もう長時間待ったりすることに体がついていけなくなりました」

 広川さんの一番の思い出写真は葉山でご静養中の雅子さまを撮った写真(1996年6月29日撮影)。愛子さまが生まれる前のことだ。。1メートルほど先にいた雅子さまに、広川さんが「写真一枚いいですか」と話しかけると、しゃがんでいた雅子さまは立ち上がり、広川さんがシャッターを切るのをじっと待っていたという。

 そのとき、雅子さまから「今朝お見えになったんですか」と声をかけられた。

「そうです。これからも皇居の門でお迎えさせていただきます」

 広川さんがそう答えると、雅子さまは「ありがとう」とほほ笑まれたという。

 あくまで控えめな、追っかけ主婦たち。それでも雅子さまは彼女たちの存在に気づいているという。車の中から見かけると、必ず窓を開けてくれるそうだ。

「雨の日でも、窓を開けてくださる。そう思うから、たとえ雨の中でも待っていられるんです。報道カメラマンしかいないときは雅子さまは車の窓を開けない場合もあります。私たち一般人がいるから、窓を開けてくださるんですよ」(白滝さん)

 前出の吉田さんはこう語った。

上皇さま美智子さまとは握手したことがあるんですが……。皇后になられたのですから、機会があるのでは。夢は雅子さまと握手することなんです」(吉田さん)

 平成から令和に時代が移っても、追っかけ主婦たちの活動は続く。

(本誌・上田耕司)

※週刊朝日オンライン限定記事

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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