遺品や資料などを展示する「対馬丸記念館」を両陛下が訪れたのは、2014年6月のこと。犠牲者を弔う小桜の塔(対馬丸犠牲者慰霊碑)を参拝した後、生存者や遺族15人と懇談した。両陛下は一人一人に声をかけ、事件当時のことなどを尋ねられた。滞在予定時間を大幅に超えて、陛下は熱心に耳を傾けていた。

 高良さんは、その後の陛下の様子も心に残っている。会館の部屋で休憩を取った陛下は「読むだけではわかりませんね」と語ったという。

「陛下はどこへお出掛けになるにも、事前に大変勉強されますよね。でも、生き残った人、辛酸をなめた遺族から直接お話を聞くと本には書かれていないことがたくさんあったということなのでしょう。それで、じっくり時間をかけてお聞きになったのだなと思いました」

 当日、参加を呼びかけられながら、固辞した生存者もいる。引率役だった元教諭の女性だ。「たくさんの子どもを失いながら、自分は生き残った。どうして遺族の前に顔が出せるでしょうか」という理由だった。代わりに、手編みの白いレース3枚を記念館に贈った。1枚は献花台に、2枚は両陛下が休憩した部屋のテーブルに敷かれた。高良さんが説明する。

「事件当時、すでに沖縄近海は米潜水艦が出没する魔の海といわれていました。心配する親たちを『軍艦で行くから絶対安全だ』と説得しながら、子どもを親から引き剥がすようにして乗船させた引率者もいた。そいういう経緯があったのです。レースを贈ってくれた先生はいま90歳を超えていて、手も不自由なのに何日もかけて編んだのです。そうお話をしましたら、皇后さまはレースを手に取ってご覧になられていました。後日、宮内庁を通じて皇后さまから『あの時のお話に感動しました。よろしければ1枚分けて頂けないでしょうか』とのお話を頂き、お送りしました」

 戦争の傷は癒やし難いが、慰霊の旅を続ける両陛下に高良さんはいつしか敬意を抱くようになっていた。今年2月、両陛下が主催した宮中茶会にも招待され、参加した。

「人波をかき分けて皇太子さまに近づき、ようやく正面にたどり着くと『新しい天皇陛下もぜひ対馬丸記念館においで下さい』とお伝えしました。皇太子さまはにっこりと『はい、わかりました』とおっしゃいました。平成は戦争のない時代でした。令和の時代もそうして頂きたいという思いでいっぱいです」

(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2019年5月3―10日号に加筆