「オリンピックを目前に控え、沸き立つ東京は異空間でした。大変なカルチャーショックを受けました」

 さらに、玉城さんの交歓先が成城学園中等部だったことも、その衝撃を強くさせた。ホームステイ先の女子交歓生の自宅は1000坪でプール付きの大邸宅。食事もすべて「猛烈においしかった」という。交歓生の服を借りてデパートに行ってネグリジェを買ってもらい、東宝劇場の舞台を見て、そのきらびやかさに目を見張った。

 交歓先の家庭は標準とはいえないが、本土は「もはや戦後ではない」(56年『経済白書』)と宣言し、高度経済成長の真っ只中にあった。一方の沖縄は米軍統治下に置かれ、軍人軍属が起こす事件・事故の多発に悩まされていた。

「陛下が沖縄に心を寄せ続けて下さったのは、本土の国民と比べて沖縄が平等に扱われていないと心を痛められたからではないでしょうか。戦跡や災害の地に足をお運びになって、不幸な思いをした人々に御心を尽くされたと思います」(玉城さん)

 基地問題はいまだ解決していないが、天皇と沖縄の平和への希求はこれからも続く。(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2019年5月3-10日号に加筆