Photo Credit - Bradley Quinn
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ヴァン・モリソン『ヒーリング・ゲーム(デラックス・エディション)』ソニー・ミュージック SICP-6081~3
ヴァン・モリソン『ヒーリング・ゲーム(デラックス・エディション)』
ソニー・ミュージック SICP-6081~3

 孤高のシンガー・ソングライターとして語られるヴァン・モリソン。今年、8月で74歳になるが、この2年の間に4枚の新作を発表。ライヴ活動も積極的に行うなど実に精力的だ。

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 そんな彼が1997年に発表し、名盤として語られてきた『ヒーリング・ゲーム』のデラックス・エディションがようやく発表された。2017年に20周年記念として発表のニュースが流れたものの公式告知もなく、発表は無期延期となっていたのだ。

 その内容はCD3枚組で、ボーナス・トラックを含むオリジナル盤、同作前後に収録されたレア・トラック、敬愛する先達とのコラボ曲、97年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのライヴ録音など全44曲を収録したものだ。

 ヴァン・モリソン(ジョージ・アイヴァン“ヴァン”・モリソン)は45年、北アイルランドのベルファスト生まれ。ジャズやブルースのレコードのコレクションを持っていた父親からの影響をきっかけに、R&B、ゴスペル、フォークやカントリーなどにも親しみ、スキッフル・バンドを結成。ローカル・バンドでの活動を経て、63年にゼムのメンバーとしてデビュー。幅広い音楽背景の中でもレイ・チャールズ、ソロモン・バークに傾倒し、ワイルドなシャウトはじめソウルフルな歌唱スタイルを身につけ、ブルーアイド・ソウル・シンガーとして評価された。

 ゼムでは「ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー/グローリア」などのヒットを放ち、6 6年にソロとなり、翌年「ブラウン・アイド・ガール」がヒット。さらに『アストラル・ウィークス』(1968)『ムーンダンス』(1970)といった名盤を発表しシンガー・ソングライターとして確固たる評価を得た。

 もっとも80年代には音楽界の主流から離れた独自の精神的な世界を追求し、“孤高の存在”と語られるようになったが、90年代に入ってからは積極的な活動によって再脚光を浴び、93年にはロックの殿堂入り、96年には大英帝国勲章のOBEを受章した。

 そして97年に発表したのが本作『ヒーリング・ゲーム』だ。90年代に入ってブルース、R&B、ジャズなど自身のルーツ音楽のカヴァー曲を主体としてきたが、同作は全曲が自作曲であり、生まれ育ったベルファストでの少年時代の回顧や当時親しんだR&Bへの回帰などが話題となり、代表作として語られるようになった。

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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