「東京に住んだ時、自分は多くの日本の元兵士と知り合いになった。ところが、いくら親しくなっても戦争体験を話したがらないんだ。かつての敵同士とは言え、なぜだろうと不思議に思っていた」

■「深い反省」の言葉、口にした今上天皇

 その答えは、意外な場所で見つかった。70年代のある日、バレーは友人と都内の靖国神社に足を運ぶと、そこで軍服姿の男性と着物を着た女性のグループに出くわした。

 全員、何かの歌を歌いながらボロボロと涙を流し、友人に訊くと、「同期の桜」という歌であった。

「戦死した仲間と、いつか靖国の桜になって再会しようという歌だった。彼らの悲しみは理解できるし、こちらも心から胸が痛んだ。同時に日本の元兵士が戦後、トラウマを抱えて生きてきたのも分かった。だが長い間、それを共有する場所がなかったんだ」

 バレーによると、第2次大戦や朝鮮戦争で米兵は英雄扱いされたが、ベトナム戦争では違ったという。帰還兵は「国家の恥」と呼ばれ、精神的な傷を負う者が続出し、それが仲間と体験や想いを共有することで癒やされた。本来、靖国神社もそうした役割を果たせたのに、政治論争に巻き込まれたのは不幸だったという。彼自身、朝鮮戦争の帰還兵だっただけに不思議な説得力があった。

 そして1989年1月、昭和天皇の崩御で「平成」が幕を開けた時、バレーは再び東京に住んでいた。日本中が喪に服して厳粛な空気が流れる中、彼は一人で皇居に足を運んだ。

 東京駅で降りて進むと、皇居前広場に人々の長い列ができていた。外国人はごくわずかで、そこに並んで坂下門の橋を渡ると、弔問の記帳場に天皇の写真が飾ってあった。

 その前に来た時、バレーは、自分が歴史の重要な瞬間に遭遇したと感じ、深く頭を垂れたという。

 敗戦直後、この皇居前広場は、しばしば米独立記念日などGHQの軍事パレードに使われた。当時の写真には玉砂利を踏みつけて進むジープや装甲車、整列した兵士の前で演説するマッカーサー、遠巻きに眺める日本人の群衆が写っている。占領の現実を突きつけるようだが、まさにその場所でバレーは天皇に敬意を払い、冥福を祈ったのだった。

 そのバレーは同時に、今の日本人が過去の戦争の歴史を知らず、アジアにもたらした苦しみを直視しないことに強い不満も抱いている。若い世代は、戦争中に中国や韓国に対して行った行為を知りもしない、東京で暮らして多くの友人もできたが、この気持ちは強くなったという。

 一方で今上天皇は即位以来、皇后と共に沖縄やフィリピン、サイパン島など多くの戦没者を生んだ地に「慰霊の旅」を続け、「深い反省」の言葉を口にしてきた。サイパン島では日本人だけでなく米軍兵士や韓国人の慰霊碑にも立ち寄り、海外でも大きく報道された。それには直接触れてないが、今回の退位についての声明を、バレーは「今上天皇と昭和天皇は醜い過去を忘れず、それを葬り去ろうとはしなかった」との言葉で結んだ。

 平成から令和に移ろうとしている中で、今、皇居前広場は中国や韓国、欧米からの観光客で賑わっている。占領期に来日して戦後史を目撃したマッカーサー儀仗兵隊、もし彼らがここにいたなら皇居に向かって整列し、直立不動で敬礼するはずだ。

週刊朝日  2019年4月26日号