平岩弓枝(ひらいわ・ゆみえ)/1932年、東京・渋谷区出身。日本女子大学国文学科卒業後、小説家を志し、作家・戸川幸夫、長谷川伸に師事。27歳のとき、小説『鏨師(たがねし)』で第41回直木賞を受賞。以来、多くの小説やテレビドラマの脚本を執筆。吉川英治文学賞、紫綬褒章、文化功労者、文化勲章など多数の受賞歴を誇る。文学勉強会・新鷹会理事長でもある (撮影/写真部・小山幸佑)
平岩弓枝(ひらいわ・ゆみえ)/1932年、東京・渋谷区出身。日本女子大学国文学科卒業後、小説家を志し、作家・戸川幸夫、長谷川伸に師事。27歳のとき、小説『鏨師(たがねし)』で第41回直木賞を受賞。以来、多くの小説やテレビドラマの脚本を執筆。吉川英治文学賞、紫綬褒章、文化功労者、文化勲章など多数の受賞歴を誇る。文学勉強会・新鷹会理事長でもある (撮影/写真部・小山幸佑)
平岩弓枝さん (撮影/写真部・小山幸佑)
平岩弓枝さん (撮影/写真部・小山幸佑)

 もし、あのとき別の選択をしていたなら──。著名人に人生の岐路に立ち返ってもらう「もう一つの自分史」。今回は直木賞作家の平岩弓枝さんです。「旅路」(NHK)や「ありがとう」(TBS)など、テレビドラマの脚本も数多く手がけてきました。人間を見つめ続ける視座はどこで養われたのでしょうか。影響を及ぼした経験を振り返ります。

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 生まれも育ちも代々木八幡宮(東京都渋谷区)。宮司だった父に溺愛されて育ちました。鎌倉時代から続く神社の一人娘ですから、特殊な環境だったことは間違いないですね。周囲は大人ばかりだし、家は小高い山の上で境内にある。親友は、氏子総代の方が譲ってくださったトミっていう名前のメス犬。それはそれはかわいかったですね。

――実は、平岩を作家に導いたのはそのトミだという。まず、作家の原点の、トミとの思い出を振り返ろう。

 今、代々木八幡駅があるあたりは、当時は材木置き場でね。その向こうの踏切を渡って、富谷小学校に通っていました。でも、学校がつまらなくて。何しろ父が、学校で教えるようなことは全部、先回りして教えちゃってたんです。

 早く帰りたくて、おなかが痛いってうそついてた。でも、まっすぐ帰ったらばれちゃうから、材木置き場に座って、お昼のサイレンを待つんです。そしたらトミがね、トコトコと走ってきて、私の隣に座るんですよ。どうして私が早退してるのがわかったのか、不思議でなりません。

 トミは意気揚々と私の後ろをついて歩いて、石段まで来ると一気に上まで駆け上がるんです。そこから先は目撃談なんですけど、トミはまっすぐ犬小屋へ入って、さも「今まで寝てましたよ」っていうふうに、あくびしながら出てくるんですって。それでしれっと私を出迎えるんです。

 仮病で早退なんて、すぐ親にばれました。母が「まったく、犬までグルになって!」って怒りましてね。トミと私はいい友達だったんです。

 小学校を卒業するころ、トミは天寿を全うしました。すごく悲しくて、「トミの思い出」っていうのを綴り方(作文)で書いたんです。私、それまで作文なんてあまり書いたこともなかったのに。

 そしたらそれが渋谷区の広報誌に載りましてね。これが間違いの元でしたねえ(笑)。親も氏子も「弓枝には文才がある」なんて言いだして、こっちも綴り方をやらねばって思うようになった。だから、私を作家にしたのは犬のトミだって思うのです。

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