きょうだいが多くて貧しくて、でも当時はそれが普通だと思ってた。母親の本能的な愛情は感じていたしね。あるとき僕が空き缶を太鼓のようにガンガン叩いてたら、隣のおじさんが「うるさい!」って怒鳴り込んできた。でもおふくろは「子どものすることに、うるさいとは何事か!」って怒鳴り返していた。母親は教養もなかったし、いまだったら問題かもしれないけど、あれは子を守る親の本能だったんだと思うんですよ。

――16歳のとき「このまま、ここで人生を終えるのはいやだ」と上京を決意。布団一組だけ持って、上野へたどり着いた。バーテンをしながら興味を惹かれた手品のスクールに通い、ストリップ劇場の幕間に芸を披露するようになる。

 最初は音楽に合わせて颯爽とトランプを操ったり、サッと鳩を出したりするようなマジシャンに憧れていたんです。でも僕は元来器用じゃないから、思い描いていたような「カッコいいマジック」はできなかった。

 あるとき、先輩に教わってハンカチの芸をやったんです。「『白いハンカチがなんでも好きな色になります。何色がいいですか』と言うと、ほとんどのお客さんは『赤』って言うから」と言われて、赤いハンカチを仕込んでいた。でも実際にやったらお客さんに「ピンク」って言われちゃったんです。しょうがないから「あ~すみません、ピンクは休みなんです」って(笑)。苦し紛れのそれが、すべてのはじまりかなあ。

 人間って追い詰められると、とっさに言葉が出てくるんです。ストリップ劇場では1日に4回、土曜には6回もステージをやらなきゃいけないから、どうしてもネタがなくなってくる。だからいろいろしゃべりを入れないと時間がもたないんです。

――透明なコップにコーラを入れて、ハンカチをかけたあと「コカ・コーラがペプシコーラになりました!」という定番芸もこのころ生まれた。「なーんだ」と笑わせながら、しかし最後にはちゃんと「え!」と驚かせるのもマギー司郎流。根底にあるのは、「お客さん」への優しい目線だ。

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