祭壇に飾られた内田裕也さんの遺影(撮影・上田耕司)
祭壇に飾られた内田裕也さんの遺影(撮影・上田耕司)
葬儀を終え、囲み取材に応じる美勇士さん(撮影/上田耕司)
葬儀を終え、囲み取材に応じる美勇士さん(撮影/上田耕司)

 カオスに包まれた、ミュージシャンらしいお別れ会だった。
 
 3月17日に他界したロック歌手、俳優の内田裕也さんの「ロックンロール葬」が3日、青山葬儀所で営まれた。ビートたけしさんや指原莉乃さんら多彩な面々が参列。葬儀委員長は田辺エージェンシーの田邊昭知社長、副葬儀委員長をイザワオフィス井澤健社長、ケイダッシュ川村龍夫会長、世話人をバーニングプロダクション周防郁雄社長ら、芸能界の大物たちが務め、別格の存在だったことがうかがわれた。
 
 裕也さんは1973年に樹木希林さんと結婚したが、1年半ほどで別居状態になった。数々の女性遍歴のあった父親に対し、2人の間の長女でエッセイストの也哉子さんは喪主として、こう赤裸々に吐露した。

「母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうにつぶやくことがありました。『こんな自分に捕まっちゃったばかりに…』と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました」
 
 参列者に裕也さんとの思い出を聞いた。
 
 浅田美代子さんは「私もいつまで生きてるかわからないから……」としみじみともらした。「内田さんは希林さんがお迎えに来たんだなって、確実に思います」。
 
 田代まさしさんは「きょうは招待状が来たので来ました。良かったです」と冗談交じりに語った。「内田さんとの付き合いは長いです。毎年、ロックフェスティバルでお世話になってました」。
 
 ミュージシャンのCHARさんはこう語った。

「内田さんを一言ではとても言い表せない。自分をアマチュアからひっぱり上げてくれた方なので、残念です」
 

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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戒名は「和響天裕居士」