「これからはのんびり好きな落語も聴きにいけますよ」。好きすぎてこんな喫茶店を開いたのに、店の仕切りがあるからゆっくり聴けなかったのね。ちょっと皮肉です。

「あの……閉店記念に、思いきって(笑)……サイン頂けますか?」。恐縮しながら色紙を出され、こちらも恐縮。そうか、店が続くならサイン書くこともまだなかっただろうに。こんなもんでよければいくらでもどうぞどうぞ。BLTサンドを食べながらスケジュール帳に目をやる。あ、今月はもう浅草に来る予定はないな……。ちょっと考えて、「あの……ハヤシライスもください! 今日で食べ納めになっちゃうんで、私も思いきってっ!(笑)」。おなかはかなりキツかったがやはり美味い。食べながら真っ白だったノートにメモを走らせる。

「お疲れ様でした。今度は寄席でお待ちしてますねー」と勘定を済ませ外に出た。向かいの老舗・アンヂェラスも今月で閉店らしい。名残を惜しむ客で長蛇の列だった。

『文七』の営業は31日まで。いや、無理に並んだりしなくていいんです。閉店までも、そしてこれからも、どうぞのんびりしてくださいな、ご主人。

週刊朝日  2019年3月29日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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