■「自分は正しい」「相手のためだ」と行動を正当化する

 子どものときに染みついた常識は、大人になって簡単に変えられるものではありません。自分が親になったとき、「暴力をつかえば、正しくなくても必ず親が子どもに勝つようにできている」というルールから抜け出すことは難しいでしょう。そのため、虐待された子どもが自分の子どもにも暴力を振るってしまうケースも多いと言われています。

 親だって叩いている途中で、「自分がしていることは虐待だ」と思わないはずがないです。しかし、人間は「これはしつけのための行動だ」と考えることで、「自分は正しい」「相手のためだ」と行動を正当化するのです。

 これは、いじめとも共通する考え方でしょう。自分の中にある承認欲求、モヤモヤをすっきりさせたいがために、誰かを下にすることで「上にいる自分」を確認し、いい気分になりたいのです。自分の中にある欲求を、自らが努力することではなく、人を貶(おとし)めることで満たそうとする、あまりにエゴイスティックな行為です。

 人間は誰しも完璧ではありません。親だって改善したほうがいい点はたくさんあります。そして、ときどきは、片づけをする気分ではないこともあるでしょう。私だって、片づけが大嫌いで、机のうえはいつもごちゃごちゃしています。

 それなのに、掃除をしているとき、イライラしているときに子どもがおもちゃを大量に散らかしていると、「なんで片づけられないの!」と、怒鳴りたくなることがあります。暴力や恐怖で、自分の言うことを聞かせようとしてしまうのは、子どもを下にみている証拠です。そこを断ち切るためには、やはり「自分も子どもも、同じ人間である」という横の視点が必要なのではないでしょうか。

■体罰という表現をする以外に、負の連鎖を断ち切る方法はない

 先日、都議会による「親による体罰は禁止」という条例案が話題になりました。これに対し、知人が「体罰ではなく、虐待は禁止でいいじゃないか」「体罰と虐待が分からないなんて、幼稚な人間に合わせているだけだ」と言っていました。しかし、幼少期の経験により家庭内で体罰の常識ラインがばらばらになってしまう以上、体罰という表現をする以外に、負の連鎖を断ち切る方法はないのではないかと思います。

 ときどき、「なんでもかんでも叩くなという批判はおかしい」「殴らないとわからない」という意見があります。そういう人は自分が老人になって粗相をしてしまったときに、成長して体格がよくなった子どもを前にして、同じことを言われてもいい覚悟があるのでしょうか。

 大人だろうが子どもだろうが、人間ならば暴力ではなく言葉で解決すべきだと思っています。もし自分がイライラしたら、深呼吸して、子どもは「横にいる」存在だと確認し直すことが大切です。

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杉山奈津子

杉山奈津子

杉山奈津子(すぎやま・なつこ) 1982年、静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、うつによりしばらく実家で休養。厚生労働省管轄医療財団勤務を経て、現在、講演・執筆など医療の啓発活動に努める。1児の母。著書に『偏差値29から東大に合格した私の超独学勉強法』『偏差値29でも東大に合格できた! 「捨てる」記憶術』『「うつ」と上手につきあう本 少しずつ、ゆっくりと元気になるヒント』など。ツイッターのアカウントは@suginat

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