虐待をする親は、子どもを「横」ではなく「縦」の関係性で捉えているのだろうと思います。自分の子どもを、人間という同等の生き物としてみていないのです。

 当たり前ですが、子どもはその子なりに自分の意見があり、小さな頭で考え、悩み、行動し、試行錯誤して成長し、生きています。しかし虐待する親は勝手に自分が上であり、子どもは下にいると信じ切っているように思えます。自分だって未完成な人間のくせに、子どもは完璧に自分の思いどおりに動かないと気がすまない。

 最初はほんの少しだった暴力が、どんどんエスカレートして悲劇を生んでしまうケースが多々あります。自分の子どもを殴って死に至らしめるのも、成人した他人の首に刃物を突き刺すのも、同じく、れっきとした殺人事件です。しかし、「子どもへの暴力」を、殺人として深刻に捉えられない親がいるのは確かです。

 実際のところ、虐待する親は、未熟なまま大人になっている人間が多いのです。本来なら、自分の子どもは守るべき対象のはずです。それを、物理的に力が強いというだけで大人である自分のほうが立場は上だと勘違いし、「力で子どもを支配していい」と思い込んでしまう。

 ここで考えてみて下さい。もしこうした親が年を経て力が衰えた老人になり、同時に子どもが成長して、身長が180センチもある筋肉質の大人になったときのことを。年齢差や、親子であることに一切変わりはありません。そのとき、親は以前のように問題を暴力で解決しようとするでしょうか。決してそんな手段をとろうとはせず、それどころか避けようとするのではないかと思います。

 暴力をつかうと、正しいも悪いも関係なく、必ず「肉体的に強いもの」が勝ちます。つまり最初から勝負が決まっているわけで、力が強いものが弱いものに対して暴力をふるうというのは、卑劣で一方的な支配の方法なのです。「自分はこうしたい」という欲求をねじ伏せられ、納得していないのに暴力で従わされてしまう状態が続けば、大人になった時点で精神的にぼろぼろになっていて当然です。

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「自分は正しい」行動を正当化