「ありがとう」
一応の礼を言って通帳と印鑑を握りしめると、母親が席を立った。
「コーヒー代は俺が払っておくからね」
「あっ、そう」
母親の後ろ姿を見送ってから通帳を開いてみると、当時の生活水準なら一年は働かずに食べていける金額が打刻されていた。
親に反抗している人間が、反抗の相手からこんな大金を貰うのはどう考えてもスジが違うと思ったが、大センセイ、「絶対手をつけずにいつか返す」という、よくよく考えればおかしな理屈をつけて、通帳と印鑑を持ち帰ったのであった。
そして、この通帳の存在が、その後長きにわたって大センセイを苦しめることになった。
編集者をやめて独立するとすぐさま食えなくなってしまい、絶対に手をつけないと誓ったはずの通帳から、一度だけのつもりでお金を引き出した。すると「絶対手をつけない」はいとも簡単に「いつか穴埋めすればいい」に変わってしまったのである。
独立当初の切迫した気分は薄れ、甘い依存心が育っていった。やはり、スジの違うお金に手を出してはいけなかったのだ。「お金に色はついていない」なんて、真っ赤な嘘だったのだ。
依存心を捨てて冷たい水に飛び込むには、母親から貰った通帳がカラになる必要があり、それには長い長い時間がかかったのである。
※週刊朝日 2019年3月15日号