その理由について納得がいったのは、大学時代の友人、大井玄氏の著作『呆けたカントに「理性」はあるか』(新潮新書)を読んだときでした。

 大井氏は私などよりも、よほど認知症の専門家で、国立環境研究所の所長をつとめた後、臨床医として認知症に関わってきました。『「痴呆老人」は何を見ているか』(新潮新書)という著書もあります。

 大井氏は『呆けたカント』のなかで、理性は情動よりも大切なのかということを問いかけ、哲学者ヒュームの次の文面を引用しています。

「理性は、情念の奴隷であり、またそれだけであるべきであって、情念に仕え従うこと以外になんらかの役割を申し立てることはできない」

 つまり、ヒュームは行為が欲望や対人関係において生じる情動に左右されるのを見抜いていた、というのです。

 振り返ってみて青春時代の理想とは理性の賜物でした。青春時代を彩った絢爛(けんらん)たる理性の数々を忘却の彼方に捨て去って、その水面下で育てられた情動によって、人生後半の幸せが生まれてくるのです。すなわち、人生後半の認知機能を高めるのは理性ではなく、情動なのです。もはや青春は必要ありません。

週刊朝日  2019年3月15日号

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帯津良一

帯津良一

帯津良一(おびつ・りょういち)/1936年生まれ。東京大学医学部卒。帯津三敬病院名誉院長。人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱。「貝原益軒 養生訓 最後まで生きる極意」(朝日新聞出版)など著書多数。本誌連載をまとめた「ボケないヒント」(祥伝社黄金文庫)が発売中

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