サイケデリック、プログレッシヴの要素を採り入れた新作を出したショーン・レノン(左)とレス・クレイプール
サイケデリック、プログレッシヴの要素を採り入れた新作を出したショーン・レノン(左)とレス・クレイプール
ザ・クレイプール・レノン・デリリウム『サウス・オブ・リアリティ』(ソニー・ミュージック SICX―121)。日本盤にはピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ザ・フーなどの名曲のカヴァーも
ザ・クレイプール・レノン・デリリウム『サウス・オブ・リアリティ』(ソニー・ミュージック SICX―121)。日本盤にはピンク・フロイドやキング・クリムゾン、ザ・フーなどの名曲のカヴァーも

 レス・クレイプールとショーン・レノンによるザ・クレイプール・レノン・デリリウムの新作『サウス・オブ・リアリティ』を紹介したい。サイケデリック・ロックやオルタナ・ロックの動向に関心を持つ人の間では、よく知られているユニットだ。一般的な知名度は低いが、ショーンがジョン・レノンとヨーコ・オノの息子と聞けば、興味を抱く人も少なくないだろう。

【新作『サウス・オブ・リアリティ』のジャケットはこちら】

 ジョン・レノンには息子が2人いる。一人は先妻シンシアとの間に生まれたジュリアン。5歳のときに両親が離婚して以来、シンシアに育てられた。ジョンとはしばらく疎遠だったが、ジョンとヨーコが別居中に出会ったことで交流を持ち、ジョンのアルバムに参加している。1984年にファースト・アルバム『ヴァロッテ』を発表し、表題曲のシングルが全米9位に。続くシングル「トゥー・レイト・フォー・グッドバイ」は同5位。これまでに計6枚のアルバムを出している。

 もう一人の息子が、本稿の主役の一人、ショーン・レノン(ショーン・タロー・オノ・レノン)だ。ジョン、ヨーコのもとで育てられ、幼少期には両親に連れられ度々来日。84年にヨーコの楽曲をカヴァーした『エヴリ・マン・ハズ・ア・ウーマン/ジョンとヨーコの仲間たち』でデビューし、90年代半ばから本格的に音楽活動を始めた。

 ヨーコのバックバンドやチボ・マットをサポートし、98年には初のソロ・アルバム『イントゥ・ザ・サン』を発表。2006年の2作目『フレンドリー・ファイア』はポップな作品で話題を呼んだ。

 その後、ガール・フレンドでベーシスト、モデルのシャーロット・ケンプ・ミュールとともに自主レーベルを立ち上げ、シャーロットとバンド活動を開始。2作目のアルバム『ミッドナイト・サン』(14年)はプログレ的展開が話題になり、“傑作”との評価も得た。

 オルタナ系ミクスチャー・バンドのプライマスと共演し、リーダーのベーシスト、レス・クレイプールと意気投合。その出会いをきっかけに、サイケ/プログレ・ロック・ユニットのザ・クレイプール・レノン・デリリウムが誕生する。

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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レスは、ショーンのギターの手腕に着目