【文豪の湯宿】幸田露伴が小説書き、滞在中に小説も執筆した塩原の宿 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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【文豪の湯宿】幸田露伴が小説書き、滞在中に小説も執筆した塩原の宿

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鈴木裕也週刊朝日#旅行
せゝらぎの湯宿 満寿家/眞船豊が挨拶に訪れた時に、露伴は大の字になって部屋で昼寝をしていたという。くつろいでいた様子がうかがえる

せゝらぎの湯宿 満寿家/眞船豊が挨拶に訪れた時に、露伴は大の字になって部屋で昼寝をしていたという。くつろいでいた様子がうかがえる

宿に残る幸田露伴直筆の手紙。日露戦争についての所見が述べられている/【せゝらぎの湯宿 満寿家】栃木県那須塩原市塩原770

宿に残る幸田露伴直筆の手紙。日露戦争についての所見が述べられている/【せゝらぎの湯宿 満寿家】栃木県那須塩原市塩原770

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「幸田露伴」の「せゝらぎの湯宿 満寿家」(栃木県・塩原温泉)だ。

【写真】宿に残る幸田露伴直筆の手紙

*  *  *
 夏になると避暑に出かけることを好んだ幸田露伴。特に塩原はお気に入りで、定宿とした満寿家には明治から昭和にかけて最低でも5回逗留した。そのほとんどが1カ月以上の長期滞在だった。

 明治36年の宿泊時には新聞連載小説「天(そら)うつ浪」を、37年には長編詩「出廬」を書いた。昭和16年の塩原行については、同行した編集者の小林勇が『蝸牛庵訪問記』に詳細な記録を残している。

<また、暑くなって先生は今年は鹽原に行くことになった。そこの枡屋(満寿家)というのは、昔先生の母君が滞在していた(中略)馴染みの宿屋であった>

 東北本線とバスを乗り継ぎ宿に到着した露伴を出迎えたのは、従業員一同。箒川に面した2階の一室に案内された。露伴は一緒に湯に入った小林の体格を褒め、夜は酒を飲んで昔話に花を咲かせている。小林は2泊で帰京するが、露伴は「仙書参同契」を執筆。同宿した劇作家の眞船豊夫妻と親しく過ごすなど、ひと夏の滞在を楽しんだ。

 新婚時代にも両親を連れて訪れるなど、生涯を通じて愛した宿だった。(文/本誌・鈴木裕也)

■せゝらぎの湯宿 満寿家(せせらぎのゆやど ますや)
栃木県那須塩原市塩原770

週刊朝日  2019年3月8日号


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