1400本くらいの出演作のうち、千本ほどはそうやって形にしていきました。でも、プロデューサーは知りません。だから私が意見を言っては、衝突。「杉はうるさい」と思われました。私も感情に任せて「あんたとは付き合ってられない」「番組をおりる」など言わなくていいことを言ってしまいました。

 当時、現場には自分で車を運転して向かい、付き人がいるだけ。マネジャーはいませんでした。矢面に立ってくれる人がいなかったんです。

 それでも視聴率が上がると、そのプロデューサーの手柄になり、昇進していく。ともに戦った戦友のように付き合える人が芸能界にはいないんだと思いました。孤独で、心は傷だらけで人間不信になりました。

 そんな中、東京12チャンネル(現テレビ東京)から、ステーションイメージアップ表彰を受けたのはうれしかったです。局のイメージアップに貢献し、おかげで営業できるようになったと言っていただいたのは励みになりました。世界に一つだけの賞。これは誇りに思っています。

――テレビと同時に舞台でも人気を博した。女性ファンに追っかけられ、「流し目」が杉の代名詞になった。しかし、杉はマスコミが流す自分のイメージに戸惑っていたという。

「流し目」に始まり、「中年キラー」「後家殺し」と、どんどん表現がひどくなっていった。

 流し目には下品な響きがあります。媚びているイメージです。この言葉は、日本の芸能界の独特の文化じゃないでしょうか。外国の人には「杉はセクシーだね」と言われます。その表現は心地よかった。

「杉さま」と言われるのも嫌でした。私にはどこか人をおちょくっているように聞こえて。マスコミに自分を理解してもらうのは難しいと感じました。

――芸能生活20年を迎えたころ、“虚像の人生”に嫌気がさし、杉は「引退」を心に決める。ところが、政財界のそうそうたる人物らが引き留めにかかったという。慈善事業などを通じて、“実像”を知る人びとだった。

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