無給で働いたのには理由があります。どんな仕事にも苦労はありますが、人は報酬があれば動きます。つまり、お金をもらって働くのは当たり前のこと。一円も報酬をもらわないという、当たり前ではない道を私は選んだのです。これを辛抱できれば、どんなことにも耐えられて歌手になれると思ったのです。

 ただ一つ、お店が休みになる元日は心細かったです。仕事が休みなのに、行く当てもなく、話す相手もいないので、店の前を行ったり来たりしながら日が暮れていく。そのときがなんともいえず、不安でした。

 週2日の歌のレッスンにはカレー屋がある向島から上野まで歩いて通っていました。お金がなかったので電車賃がなく、片道2時間歩きました。冷たい雨粒がからだにあたっても、風が吹き付けてもコートなんかありませんし、喉が渇いてもペットボトルの飲みものなんてなかった。今、思うとあれで身体も鍛えられたのではないかと思います。

――65年「野郎笠」で歌手デビュー。67年にNHKのテレビドラマで主演を務めると、民放からも次々と俳優の仕事が舞い込み、テレビの視聴率競争に巻き込まれていく。杉は瞬く間にスターの階段を駆け上がっていった。その一方で、「人間関係は難しかった」と振り返る。

 当時は3時間睡眠の生活でした。本来は8日かけて1本のドラマを撮影するところを自分の出番のところは1日半で撮っていました。スケジュールが間に合わなかったのです。

 視聴率競争というより戦争でした。断崖絶壁に立たされている感じで、落ちたらおしまい。視聴率が悪いと主役が悪いと言われるんです。

 視聴率がいい枠を与えられたのではなく、自ら視聴率の低い枠を選び、わずか数%から10%、20%と上げていった。視聴率を上げるためにはどうすればよいかをずっと考えていました。視聴者がどうすれば喜ぶか、どういう場面で留飲が下がるのか、など。新聞記事を読めば、いま世の中でどんなものがはやっているか、人は何に関心があるのかがわかります。だから僕が詐欺や誘拐などのネタを盛りこんだシノプシス(あらすじ)を考え、3本ずつくらい脚本家に伝えて仕上げていただきました。

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