例えば、鹿島氏は、小林が「よりよいものをより安く」をモットーに阪急百貨店を開店(1929年)したときの発想は「多売→薄利」だったと捉えている。つまり、「薄利→多売」がいずれ利益率の低下につながる欠点があるのに対して、「多売→薄利」なら利益率を下げるのはあくまで「利益をお客に返すサービス」となり、お客が再び利益をもってきてくれる可能性が生まれると。シュンペーターのイノベーションの定義に従えば、これは「新しい販路の開拓」が可能にする世界なのだ。

 だが、同時に鹿島氏は、小林の東宝映画設立(1937年)を「ヴィジョナリー・カンパニー」の誕生として捉えることによって経営史との接点を見出していると思う。つまり、大衆によりよい娯楽を提供するという商業理念を実現したという意味だが、宝塚その他も同様だ。

 小林は根っからの自由経済の支持者だったが、電力事業の合理的経営のための国営化を拒否するほど頑固な保守主義者ではなかった。だが、その考え方は、戦時中のいわゆる「革新官僚」(岸信介の名前を出せば十分だろう)による統制経済論と対立し、政治家(第2次近衛内閣の商工大臣)としての挫折を味わった。

 戦後になり、やがて日本は高度成長の時代を迎えようとしていたが、晩年の小林は、国民全員がそれぞれの役割を分担し、創意工夫に励めば「幸せな日本」を実現できると楽観的にみていたという。鹿島氏は、それは現在の少子高齢化時代の日本には参考にならないという意見があることは重々承知している。

 だが、小林の生涯の活動を追ってきた鹿島氏には、将来への確固たるヴィジョンをもち、果敢に行動に移せる真のイノベーターの不足という問題が逆に見えているのではないだろうか。波乱に富んだ小林の生涯を浩瀚な資料解読と文士の筆力で描いた力作だ。

週刊朝日  2019年3月1日号