次に、その物質の「摂取量に関係した」健康リスクを吟味する。


 
「摂取量に関係した」というのは、たくさん取れば取るほど有害で、ちょっとしか取らなければ無害あるいはほとんど無視してもよい程度、という意味だ。すでに何度か述べている「程度問題」というわけだ。

 こちらのリスクのほうは検証がより難しい。また、医学を専門にしない一般の方々には、なかなか理解してもらいにくいタイプのリスクだ。とはいえ、日常のあらゆるものが、実はこのタイプのリスクに該当する。
 
 例えば、水だ。

■水はヒトの生存に必須だが、取り過ぎは死に至らしめる
 
 人体の7割程度は水でできており、われわれ人間は水なしでは生存できない。しかし、水を何リットルも毎日ずっと飲み続けていると人間は死んでしまう。これは、水によって体内のナトリウム(Na)が薄められて相対的に少なくなり、神経細胞などを傷害するからだ。
 
 水はヒトの生存に必須だ。しかし、水の取り過ぎはヒトを死に至らしめる。別に矛盾しているわけではない。世の中の多くのものは「そういうもの」なのだ。
 
 このように、世の中のほとんどの物質は過剰に摂取すると健康には有害だ。塩でも砂糖でも、過剰な摂取は健康に害である。だから、こういうものに対して、量を無視してその物質を健康によいとか悪い、と論じるのは意味のない議論なのだ。

 ぼくは子どもの頃、「バケツいっぱいのワラビを食べると発がん性が生じる」と教わったことがある。ワラビの発がんリスクは確かに理論的懸念としては正しい可能性がある。マウスの実験などで(ヒトに換算すれば)「バケツいっぱい」のワラビを食べさせればがんが発生するかもしれない。しかし、「ワラビをバケツいっぱい食べる」という想定がそもそも非現実的だ。こうした想定はワラビの健康リスクを議論するうえでは「意味のない議論」になる。

 こういう地に足のついていない、観念だけの議論は、少なくとも実際に患者を診療し、「地に足のついた」議論だけが、実際の患者に関係したデータだけを大事にするわれわれに言わせれば、「ナンセンス」な議論だ。
 

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