歌の途中で再び語り出す。ろくに勤めの経験もないのに工場労働者のことを歌ってきたのは“全部作り話、でっち上げだ”と明かし、笑いを誘う。

 生い立ちを語り、7歳のときにエルヴィス・プレスリーを見た衝撃がすべての始まりだと述懐する。母親にギターをねだったが、買う余裕がなくレンタルした。2週間レッスンを受けたが難しすぎてやめてしまった。ギターを返す日に、近所の子どもたちの前でギターを弾くまねごとをしながらデタラメな歌を歌ったのが、人生初のコンサートだった……という少年時代にも触れる。

 ピアノに移り、両親や妹、祖父母のほか、近隣に暮らす大勢の親族に囲まれて育った思い出を語り、「マイ・ホームタウン」を歌う。幼少期から過ごしてきた街がさびれ、そこから出ていく決意を固めた一家の物語だ。

 父親の思い出も語る。父は“特権的でプライベートな聖地”であるバーに入り浸っていた。母に命じられて父を迎えに行った回想のあと、「僕の父の家」をささやくように歌い始める。

 勤勉な弁護士秘書だった母については、“仕事から家に歩いて帰る母の姿に、俺は強い影響を受けてきた”と語る。そして歌われる「ザ・ウィッシュ」。

 19歳のとき、ブルースは故郷を離れる。その最後の夜、引っ越しの荷物を運ぼうとして警察にとがめられた話を明かし、歌うのは「涙のサンダー・ロード」。コンサートで誰もが口ずさむ“少しは信じよう 夜には魔法がある”という一節はもちろん、最後の“街は負け犬でいっぱい でも俺は勝つためにここから走り抜ける”という旅立ちの宣言が印象深い。

ニュージャージー沿岸で多少知られた存在になったが、何かが起こる気配はなかった。業界人が自分を見に来たが、恋人を寝取られただけで終わった。西海岸での仕事を得て、クルマで大陸を横断することになるのだが、免許がなかった……そんな実話に続いて「プロミスト・ランド」の演奏に移り、“俺は約束の地を信じている”と歌われる。

 そして、ブルースの名声を高めた『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』。ベトナム帰還兵との出会い、戦死したバンド仲間の話など表題曲の背景を語る。ブルース自身も徴兵検査を受けたが、徴兵は逃れた。時々“俺の代わりに誰が行ったのか”という思いに駆られると言い、歌い始める。オリジナルとは異なり、12弦ギターをスライド奏法で弾きながら、カントリー・ブルース・スタイルで、帰還兵の苦悩をうめくようにして歌う。

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