自身の「遺影」のイラストを掲げる岡留安則さん=遺族提供
自身の「遺影」のイラストを掲げる岡留安則さん=遺族提供
岡留さんらが襲われた当時の室内。床には血が飛び散っていた=2000年(c)朝日新聞社
岡留さんらが襲われた当時の室内。床には血が飛び散っていた=2000年(c)朝日新聞社

 月刊誌「噂の真相」の編集長だった岡留安則さんが1月31日、沖縄の病院で亡くなった。71歳。政財界から芸能、文壇まで、数々のスキャンダルをスクープした伝説の編集長だった。

【写真】岡留さんらが襲われた当時の室内。床には血が飛び散っていた

 元副編集長・川端幹人さんはこう話す。

「岡留さんは一生独身でした。女性にはモテましたよ。常に付き合っている相手はいましたが、結局、結婚しなかった。『守るべきものをもちたくない』『雑誌と結婚したんだ』が口ぐせでした」

「噂の真相」は、タブーへの挑戦や反権力・反権威を掲げ1979年に創刊。2004年に休刊するまで、スキャンダルならジャンルを問わずに報じた。
 発行部数は休刊時に約20万部あり、総合月刊誌では文芸春秋の次につけていた。

 ページの余白には短歌のような1行情報。「~の噂」などと書かれ、パラパラとめくることができた。記者も1行情報を追いかけたことがある。

「作家が静岡県の寺で出家するという噂」というものだった。寺へ行ってみたら真実で、喜んだものだった。

 一方で、トラブルも絶えなかったが、本人はまったく気にする様子はなかった。デスクだった神林広恵さんはこう振り返る。

「1行情報の皇族の表記に敬称が抜けていて、『不敬だ』と右翼団体の2人組が抗議に編集部に乗り込み、暴行されたことがあった。岡留さんは太ももを刺されて血だらけになりました。当初は病院や警察に行きましょうと言っても、『銀座で約束があるから』と聞かず、そのまま飲みに行こうとしていました」

 襲われた時、防犯カメラに一部始終が映っており、映像をネットで配信した。

「暴力や抗議があってもネタにする、転んでもタダでは起きない。スキャンダルこそがジャーナリズムの王道だと本気で語っていた」(神林さん)

 検察の内幕ものもウリの企画の一つだった。東京高検検事長の愛人スキャンダルも掲載した。

「どんな相手でも知ったら書く。訴えられて示談交渉の途中なのに新たに書いて、示談がぶち壊しになったこともありました。とにかく細かいことを気にせず、苦しい局面でもいつも陽気。雑誌というものは編集長の姿勢が反映されるといいますが、その通りだと思いました」(川端さん)

 休刊後は沖縄に移り住んだ。どういう理由からだったのか。

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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