林:お棺には、膝を曲げた状態で入ってるんですよね。

奥田:そう。そして石を手で積み上げて、洞窟の入り口をふさいでるわけね。洗骨というのは、洞窟に入れてから4年たつと、家族がまた集まって洞窟からお棺を出して、ミイラ化した骨を水で丁寧に洗って成仏させるという儀式なんだよね。

林:ミイラ化した骨を洗うって、家族はつらいかもしれないですね。

奥田:それはいっぱい考えました。だけど女房を愛していて、もっと幸せにしてあげればよかったと思う亭主は、4年たって棺桶を開けたときに、また新たな女房に会えるという気持ちがあるじゃないですか。そんなに愛し合ってない夫婦だったら、「亭主とは一緒のお墓に入りたくない」という奥さんもいる。でも、お棺のふたを開けた瞬間に、二人の積年のわだかまりがああいう儀式によって浄化されるんじゃないか。だからいずれにしてもしなきゃいけない儀式なんじゃないかなと思ったわけ。

林:なるほど。

奥田:本土ではふつう火葬場に持ってって、棺桶をガチャーンと入れて、ブアーッと高温で焼くじゃない。いくら魂が抜けたあとにしても、これはコワいなと思ってたんだけど、死体の風化を待つ風葬っていうのはいいなと思った。もし万が一生き返っても、出てこられる環境に置かれるわけで、僕自身もいちばん理想的な葬られ方は風葬かなと思いましたね。

林:あんなふうに身内に、骨を一つひとつ愛おしげに水で洗ってもらえたら幸せですよね。

奥田:本当にそうだよね。

(構成/本誌・松岡かすみ)

週刊朝日  2019年2月15日号より抜粋