『熱帯』は森見登美彦渾身の作。「沈黙読書会」「暴夜書房」とは何なのか?(※写真はイメージ)
『熱帯』は森見登美彦渾身の作。「沈黙読書会」「暴夜書房」とは何なのか?(※写真はイメージ)

 翻訳家・エッセイストの鴻巣友季子氏が選んだ“今週の一冊”は『熱帯』(森見登美彦、文藝春秋 1700円※税別)。

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 その書物のタイトルと同名の本が作中に出てくる小説というのは、まず間違いなくスリリングで、面白いのである。だいたいその本を最後まで読めない仕掛けになっている。

 有名どころでは、イタロ・カルヴィーノの『冬の夜ひとりの旅人が』。「あなた」がこの題名の本を買ってくると、途中に乱丁があって、最後まで読めず……。それから、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「砂の本」。主人公が聖書売りから買った「砂の本」という本は、始まりも終わりもなく、まさに砂塵のごとし。

 わりと最近では、スカーレット・トマスの論理学ミステリ『Y氏の終わり』も、そのパターンだった。作中に登場する同名の書物を最後まで読んだ者は死ぬと言われている。

 さて、現代日本の森見登美彦による『熱帯』は、これら名作の本の要素をすべて備えていると言っていい渾身の作だ。こういう小説、好きすぎて、どうしたらいいかわからない。

 語り手は作者の分身とおぼしき「モリミン」。小説家だが、しばらく筆がうまく進まず、スランプ気味のある日、ふとした妻の言葉がきっかけで、謎の本をめぐる物語を思いつく。というのも、「汝にかかわりなきことを語るなかれ」という警句から始まる『熱帯』という本の記憶が甦ってきたからだ。

 16年前の大学休学中、『熱帯』を入手したのは、京都にある古書店だった。作者は「佐山尚一」。物語はひとりの若者が南洋の孤島の浜辺に流れ着くところに始まり、彼は島で「佐山尚一」という男に出会う……。早くも入れ子構造が忍び寄り、見るからに、虚実の境があやしくなりそうな雲行きではないか? 語り手が読んでいる途中で、『熱帯』は忽然と姿を消し、爾来、どんなにリサーチしても同書には再会できなかった。

 ところが、知人に誘われた奇妙な「沈黙読書会」で、「白石」さんという女性が『熱帯』を持参しているのを発見。一体、どこで手に入れたのか? ここから、白石さんの語りによる『熱帯』をめぐる物語がスタート。そう、本作はこうして「千夜一夜」のごとく物語枠を水平に、垂直に、重ねていく。現代日本版の「千夜一夜物語」というべき本書も、そうとう危険で魅惑的な作品である。

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