私は作品を描くとき、「お茶を出す大事」というのをいつも心がけています。たとえば長屋に客が訪ねてくる。お茶でも一杯どうだい?となる。でも、ただ待っていてもお茶は出てきません。当時は、いつでも火をおこせるように、ほんの少し火を残していました。その種火を七輪に移してヤカンをのせる。そういうプロセスがどうしても必要です。そういう人間の営みに肉薄せざるを得ない。それを私は「お茶を出す大事」と呼んでいます。

──その「手間」が大事ということですね。

 一杯のお茶を出すだけでも、相手のことを考え、そして手間をかけてお湯を沸かさなければならない。その「手間」こそが「もてなし」なわけです。お茶を出す、出されたお茶をいただく。ただそれだけの関係でも、その背後に手間があり、もてなしの心があるからこそ、人間関係は密になる。江戸時代の庶民が暮らす長屋は、平屋で4畳半がせいぜいの狭い空間です。プライバシーなんてありません。その分、誰もが密接な関係をもち、助け合って暮らしていました。子どもは子どもらしく、年寄りは年寄りらしく、誰もがその役割に応じて支え合っていた。だから現代のように「老後の心配」もいらなかった。江戸は男性の独身者が多い町でしたが、病気のときに看病する家族がいなくても、こうした相互扶助が機能することで暮らしていけた。

 江戸時代の庶民は、「足るを知ること」「お茶を出す大事」「もてなしの心」を持ってつつましく暮らしていました。それを「不便でかわいそう」と考えるのは現代人の勝手な見方で、彼らは人間の本来あるべき姿を体現していたのだと、私は思います。それが江戸の庶民の、つまりは江戸っ子の生き方なのです。

──一方で、江戸は人口100万をこえる世界有数の大都市でした。

 江戸は「偉大な都市プランナー」でもあった徳川家康が築いた町です。家康は家臣である武士たちを使って巨大都市を整備しました。江戸は武士がつくった町だったのです。武士は主君の命令に忠実で、時間を守り、スケジュール通りに作業を行います。そうした武士の気質が、江戸っ子に引き継がれていったのです。

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