名越康文医師が精神科医を目指すきっかけになった「幸運な出合い」とは? (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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名越康文医師が精神科医を目指すきっかけになった「幸運な出合い」とは?

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植田晴美週刊朝日#教育
名越康文/1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)で精神科救急病棟の設立、責任者を経て99年に退職。臨床のほか、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析
など多方面で活躍中(写真 大野洋介/朝日新聞出版・写真部)

名越康文/1960年、奈良県生まれ。精神科医。相愛大学、高野山大学客員教授。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現:大阪府立精神医療センター)で精神科救急病棟の設立、責任者を経て99年に退職。臨床のほか、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析 など多方面で活躍中(写真 大野洋介/朝日新聞出版・写真部)

■オープンカウンセリングに出合い、道が開けた

――周りを見て焦りましたか?

 いや全然! そういう同級生や仲間たちと自分を比べて焦ることは、全くありませんでした。尊敬はするけれど、自分とは全く違う人種のような感覚ですよね。ただ当然授業には身が入らないから、ぼくは3年のときと5年のときと2回留年しています。親には本当にひどく迷惑をかけましたが、今から当時を振り返ると「自分探し」に必死だったということなんですね。

――どうして精神科医に?

 2回目の3年生のときです。僕が悩んでいるのを見て、友人が精神科医が行っているアドラー心理学のオープンカウンセリングに誘ってくれたんです。実はそれまで、精神科なんていう科があることさえ知らなかったんですよ。精神科のカウンセリングは個人的なものなので、基本的に医師あるいはカウンセラーと患者が1対1で行います。しかしアドラー心理学の場合、医師やカウンセラーを取り囲む聴衆、見学者がいる形式もある。

 その場には、後にぼくの師匠になる先生がいて患者さんがいて、その周りに数人の人がいて、みんなが場を共有して見ているんです。時には邪魔にならない程度に「私はこう思います」と、自分の意見まで言っている。カウンセリングの現場、しかも超一流のカウンセリングの場を見られるなんて、きっと今でもそんな機会は少ないんじゃないかな。そういう意味ではものすごく幸運な出合いでした。とにかくそのカウンセリングの見事さにその場で衝撃を受けて、“僕もこういう仕事をしたい”と精神科医になることを決めました。

――オープンカウンセリングにどれぐらい通ったのですか?

 最初の出合いから毎週欠かさずに通い続けました。卒業して医師になってからも、ずっと通っていました。このオープンカウンセリングで師匠と出会っていなかったら、誘ってくれた友人がいなかったら僕はどうなっていたことか……と思います。

■精神科はしんどいからおすすめはしません


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