16年には、添田唖蝉坊の「ダイナマイト節」「ノンキ節」に触れ、それらの歌詞に共鳴し、自ら小唄、演歌を作ってみようと思い立った。そのときに即座に作ったのが、本作にも収録された「やなちゃんのワカンナイ節」だ。

 小唄といえば粋なお座敷歌というイメージ。艶っぽい曲がよく知られるが、柳原は風刺の利いたバレ唄に着目。“弱肉強食の時代だからこそ、フォーク・ソング(民衆の歌)を作って歌いたい”と考え、本作のテーマとした。

 幕開けを飾る「21st Century Complex Blues」は、生ギターの弾き語りによる軽快なブギ調。正しい者、弱い者を踏みつける“王様気取り”の権力者を批判し、“強い者に憧れて”“強い者に媚びへつらう”と痛烈な言葉が続く。

 柳原は“安倍さん、トランプさん、話してることは威勢が良かったりするものの、質問をはぐらかした言葉が返ってきて。それが結構ウケていることに驚きました。いたわり、共感の21世紀はどこにいったの?という怒りを込めた”と語る。

 2曲目の「歌手はうたうだけ」では、“歌手はたかが人気商売、己の分をわきまえず、発言したところで何にもならない”といささか自虐的だが、本人は“歌い続けていればいいことがあるかも、というかすかな希いを込めて”歌っているという。

 3曲目は先述の「やなちゃんのワカンナイ節」。唖蝉坊が歌った「わからない節」は明治時代にはやった「日本海軍」を下敷きに、1906年当時の政府を皮肉った風刺歌だ。柳原は“明日のこと”“きみの心”“親”や“子”の気持ち、理不尽で不確かな出来事や人の身勝手、世の中“ワカンナイ”ことだらけと、皮肉を込めた。たま時代を思わせるメロディーで、素朴な演奏にお囃子が加わり、思わず手拍子を打ちたくなる。柳原のすっとぼけた歌いぶりもおもしろい。

「土下座節」は60年代のポップ・スタイル。何があっても土下座してコトを終わらせようとする当事者や、土下座させて憂さ晴らしをするだけという日本の風潮を皮肉る。ブギ・ロック調の「洗脳時代」も現代社会の風刺。カントリー調の「アメリカンポーク」は“昔ながらのアメリカの対外政策を皮肉りました”と語る。

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