渡辺一史(わたなべ・かずふみ)/1968年生まれ。2003年刊の『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、後に文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。11年刊の『北の無人駅から』(北海道新聞社)でサントリー学芸賞などを受賞。 (撮影/横関一浩)
渡辺一史(わたなべ・かずふみ)/1968年生まれ。2003年刊の『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、後に文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。11年刊の『北の無人駅から』(北海道新聞社)でサントリー学芸賞などを受賞。 (撮影/横関一浩)

「障害者に生きてる価値はあるのか」「なぜ税金を重くしてまで、障害者や老人を助けるのか」。昨今、そんな問いが、ネットを中心にあふれるようになった。さらに2016年に相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件において、植松聖被告は「障害者は不幸を生むだけ」と主張したという。本書『なぜ人と人は支え合うのか』(ちくまプリマー新書、880円※税別)はこうした問いや主張に対し、きれいごとではない答えを求めて模索する。

「私自身も若い頃は障害や福祉の問題に無関心で、こうした問いや主張を心に浮かべては、世の中の欺瞞を見抜いた気になっていた一人でした。だからこそ、植松被告の考えを高みから全否定するのではなく、わが身に照らして吟味する必要があると思ったんです」

 渡辺一史さんを変えたのは、映画化もされた『こんな夜更けにバナナかよ』(2003年刊)で描いた筋ジストロフィー患者・鹿野靖明さん(02年に死去)と、彼を取り巻くボランティアとの出会いだ。鹿野さんはボランティアたちに「あれしろ、これしろ」と容赦なく要求し、夜中でも「バナナが食べたい」「もう一本!」とまったく遠慮がない。渡辺さんが当初イメージしていた「困難に負けない健気な障害者」とはまるで違う。だが自分の弱さや子どもっぽさを隠そうともせず、周囲を巻き込みながら生きる鹿野さんには、生きることへの圧倒的な執念と、“丸裸”で生きる人間としての魅力があった。渡辺さん自身もボランティアの一員となりながら、取材にのめり込んでいく。

「鹿野さんは一人では一日たりとも生きていけない、いわば他人と関わることを宿命づけられた人。一見『わがまま』に見える数々の要求も、鹿野さんが主体的に生きるためには不可欠なことだと気づいた。それまで『人に迷惑をかけたくないし、かけられたくもない』と思って生きてきた自分の生き方を、根底から揺さぶられました」

 ボランティアの大半は、悩みや葛藤を抱える、ごく普通の若者たちだった。鹿野さんから大きな影響を受け、医療や福祉、教育の現場で活躍している人は数多い。渡辺さんもその一人だ。

「鹿野さんから『生きるとは何か』『人と人が支え合うとはどういうことか』を全身全霊で教えてもらった。私自身学生時代に教わった教師と比較しても、鹿野さんに勝る先生はいません」

 本書では多くの障害者やその家族、介助者が描かれるが、「支える側」「支えられる側」は常に流動的で、何度も逆転する。

「人は誰かの役に立っているという実感なしには、生きていくことはできない。誰かを『支える』ことによって、『支えられている』のではないでしょうか」

 人は生きている限り、老いや病気とは無縁ではいられない。障害や介護、福祉の世界には「生きること」のすべてが凝縮されているのだと渡辺さんは語る。

「障害者について考えるとは、健常者について考えることであり、同時に自分自身について考えることでもあるのです」

(本誌・野村美絵)

週刊朝日  2019年2月8日号