「娘を病院に一緒に連れていって、私が身元引受人になってます。入院の手続きは私がやりました。病院ではいろんな検査を受けました。しかし、そのときには体がだいぶ衰弱していて、痛みもあった。それを自覚したのは今年で病院に行くのが、遅かった。去年まではテレビ番組に出演し、仕事もしてましたから……」

 有賀さんはかなり衰弱していて、病院で点滴治療を受けていたが、30日朝にたった1人で亡くなったという。

「病院では、睡眠薬とか応急措置はしたようですけど、体力の回復ということを一生懸命やってくださった。病院でさつきは『普通にしているから大丈夫』と言っていた。30日午前8時、亡くなったと病院から電話をもらいました。電話をくれた看護師さんからは『(死ぬ間際まで)一人で普通に話をし、トイレへも行っていましたよ』と話していた。だから、もう退院する頃かなんて思っていたから、いきなりの訃報でした。私は1回しか見舞いに行ってません。だから、死んだと聞いて呆然としました。最後は誰も看取ってないです」

 父親は週刊女性PRIME(1月30日配信)の取材に対し、「実は、卵巣がんだったんです。さつき本人が知られたくないということで、私も隠していました。大阪に卵巣がん治療の名医がいるということで、亡くなる3年前に手術を受けました」と明かしている。

 さつきさんは02年に上司だった元フジテレビ解説委員の和田圭さん(66)と結婚し、1人娘(16)をもうけたが、06年に離婚した。愛娘は和田さんのもとで暮らしているという。

 フジテレビ関係者はこう話す。

「和田さんは5年ほど前、フジテレビを退職。その後、消息はあまり聞きませんね。有賀さんと一緒に仕事をした人々は50代半ばで皆、役員や局長クラスで、今の若い社員はほとんど知らないと思います」

 前出の三宅さんはこういう。

「お父さんに直接、連絡するのは、負担になるかもしれないので、同期を代表して、八木さんが連絡係をしてくれてました。まだ納骨をしていないらしいので、しばらくしたら、お墓参りにも行きたいし、また同期で集まりたい。さつきちゃんの分もがんばって、これから生きていきたいと思ってます」

(本誌/上田耕司)

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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