聾者の“母語”である日本手話を禁じて、その代わりに外国語である日本語を習得させようとすることは、極端な言い方をすれば、植民地の人に日本語を強制するようなものなのだ。そして、人工内耳の進化は、結果的にこうした方向に拍車をかける可能性がある。

「だって、日本で暮らしていく以上、現実的には日本語がしゃべれた方が生きていきやすいんだから、それは強制なんかじゃなくて、親心みたいなものでしょう。人工内耳の装着で日本語が習得しやすくなるなら、それはいいことじゃないの」

 おそらく、こうした反論がウンカの大群のごとく押し寄せてくることであろう。

 日本語がしゃべれた方が、生きていきやすいのは事実だろう。しかし、にもかかわらず、聾者が日本語を話せるようになることを単純に「いいことだ」と言っちゃいけないんじゃないかと大センセイは思うのだ。

 聾者、特に聾の両親から生まれた「ネイティブサイナー」と呼ばれる聾者は、日本手話を基礎にした独自の聾文化を持っている。

 現実的な「生きやすさ」のために日本手話を捨てて日本語をしゃべろうとするとき、おそらく聾者は、聾文化とともに聾者としてのプライドも捨てなくてはならないのではないか。

 世の中では、共生社会という言葉が流行している。大センセイが考える共生社会とは、多数派が親心で少数派を「仲間に入れてあげる」社会ではない。少数派が少数派のまま、伸び伸びと存在できる社会のことである。

週刊朝日  2019年2月1日号

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山田清機

山田清機

山田清機(やまだ・せいき)/ノンフィクション作家。1963年生まれ。早稲田大学卒業。鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『東京タクシードライバー』(第13回新潮ドキュメント賞候補)、『東京湾岸畸人伝』。SNSでは「売文で糊口をしのぐ大センセイ」と呼ばれている

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