「すごく幸せ」市原悦子さんの姪やミッキー吉野が明かす病室での最後の7日間 (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「すごく幸せ」市原悦子さんの姪やミッキー吉野が明かす病室での最後の7日間

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上田耕司週刊朝日
祭壇に飾られた市原悦子さんの遺影(撮影/上田耕司)

祭壇に飾られた市原悦子さんの遺影(撮影/上田耕司)

 82歳で亡くなった大女優の市原悦子さん(本名・塩見悦子=しおみ・えつこ、 享年82)の告別式が18日、東京・青山葬儀所で営まれ、約500人が参列した。晩年は病気のリハビリをしつつ、仕事をこなしていた。「家政婦は見た!」(テレビ朝日系)など人気番組で50年以上、お茶の間を楽しませてきた女優の最後の日々を、姪の久保久美さん(53)らが本誌に語った。

 「おばの晩年はあまり動けず、最後の仕事となったNHK『日本眠いい昔ばなし』も車椅子に座って収録しました。でも、歩行器を使って歩いていましたし、歌をうたったり、映画を見たり、元気に過ごしていました」

 市原さんは昨年11月末、「盲腸」で入院。一旦は回復し、12月末に退院し、自宅で生活していたが、1月5日に再び入院となり、12日午後1時半頃、心不全のため都内の病院で亡くなった。

「盲腸がきっかけでお腹の中に膿ができ、手術もできず、感染症にかかって心不全で亡くなりました。1月8日まではちょっと食べれました。最後の数日はほとんど食べられなくなった。話しても、何を言っているのかよくわからなかった。薬も飲めず、点滴をしてもだんだん衰弱していき、心臓の拍動が早くなって、亡くなりました」(久保さん)

 亡くなる5日前までは会話をすることができたという。1月7日にはロックバンド「ゴダイゴ」のリーダーのミッキー吉野さん(67)や中学時代の恩師がお見舞いに病室を訪れて話していたという。

「ミッキーさんが病院に来てくれたのを喜んで『すごく幸せ』と言ってました。ミッキーさんがちょっと歌ってくださり、『また一緒に歌おうね』と声をかけたら、おばは『また歌いたい』とハッキリと答えてました。中学時代の恩師は『えっちゃん、がんばれ』と言って手をさすってくださった。『ハイ、ありがとう』って答えていました」(同)

「盲腸」以前にも、16年11月、自己免疫性脊髄炎で入院していた。この病気は自分の体を間違って異物として攻撃してしまうというもの。それ以来、姪が中心となり、在宅で、親族やノンフィクションライターの沢部ひとみさん、家政婦ら5~6人で「チーム市原」を作って、介護していた。沢部さんはこう話す。


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