【文豪の湯宿】島木赤彦が伊藤左千夫や長塚節らと歌会を開いた特別な宿 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

【文豪の湯宿】島木赤彦が伊藤左千夫や長塚節らと歌会を開いた特別な宿

このエントリーをはてなブックマークに追加
鈴木裕也週刊朝日
【布半】布半の創業は1848(嘉永元)年。大正9年に諏訪湖畔に「布半別荘」が開設された際、「赤彦の間」は本館から昔のままの姿で移築された

【布半】
布半の創業は1848(嘉永元)年。大正9年に諏訪湖畔に「布半別荘」が開設された際、「赤彦の間」は本館から昔のままの姿で移築された

滞在中の赤彦。「赤彦の間」には写真や書簡など貴重な資料が展示されている/【布半】長野県諏訪市湖岸通り3-2-9

滞在中の赤彦。「赤彦の間」には写真や書簡など貴重な資料が展示されている/【布半】長野県諏訪市湖岸通り3-2-9

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「島木赤彦」の「布半」(長野県・上諏訪温泉)だ。

【滞在中の島木赤彦の写真はこちら】

*  *  *
 諏訪で生まれ育ったアララギ派の歌人・島木赤彦にとって布半は特別な宿だった。小学校教師を務めながら、明治36年に信州で短歌雑誌「氷(ひ)むろ」(後に「比牟呂」=ひむろ)を創刊。たびたび布半で歌会を開催し、夜中まで仲間と活発に談論したという。

 明治37年11月、「アララギ」の源流となった短歌雑誌「馬酔木(あしげ)」の中心人物だった伊藤左千夫の初来訪もこの宿で迎えた。ボートで諏訪湖に遊び、歌会を催して歓待。翌年9月、長塚節(たかし)の来訪時も歓迎会兼歌会を開催するなど、赤彦は布半を舞台に交流関係を広げていく。

 明治41年に新たに創刊された「アララギ」は翌年、「比牟呂」と合併するが、大正2年に経営悪化が深刻化する。斎藤茂吉から知らされた廃刊の方針に猛反対した赤彦は、翌年、上京して改革を行い、雑誌を存続。大正2年に茂吉が発表した歌集『赤光(しゃっこう)』が評判となったのを機に「アララギ」は歌壇を制覇するまでに成長した。

 赤彦の臨終に際して駆けつけた茂吉は、まず布半を訪れ容体を確認した。それほど赤彦と宿の関係は深かった。アララギ派が集った部屋は現在も「赤彦の間」として宿泊可能だ。(文/本誌・鈴木裕也)

週刊朝日  2019年1月18日号


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい