保阪:昭和天皇は御学問所で教育を受けて帝王学を学んでいて、「あなたの名前でいろんなことを行うけれど、それは国家の一機関として行うのであって、あなたの人格や性格は関係ない、別問題なのだ」と言われ続けた。今の天皇はそうした教育を受けていないから、天皇という名において行われること全体が、自分の形として歴史を受け継ぎ、責任を背負い込むとのお考えだと思います。だから追悼をする。それは心理的な清算なのだと思う。沖縄に行く、満蒙開拓平和記念館に出かける。そして全国を島々まで回る。国民の声に耳を傾けたいと言うけれど、国全体を戦争に巻き込んだことへの贖罪(しょくざい)意識があるのではないかと思えます。

 ただ、沖縄やサイパンを訪問し、犠牲者のために祈るのは霊に対して祈るのか、戦争に対する忌避の感情、憎しみ、繰り返してはいけないと誓うためなのか。その考え方はまだ十分に知らされていない。

岩井:皇室としてそれをどうすべきか。次の天皇が考えていくのか。

保阪:考えるようになった瞬間、言葉と対応が違ってくるでしょう。戦地に行って慰霊する意味を天皇は説明する義務があるわけです。説明が単なる戦跡を訪ねて黙祷を捧げる、その行為だけで判断してほしいというだけでは済まないと思いますよ。戦争の本質を天皇の人格やメッセージからどう読みとるか。

岩井:次の天皇となる皇太子さまは、天皇陛下秋篠宮さまとの「三者会談」でどのように話し合われているのか。近年、日本の繁栄は平和憲法によると繰り返しておられるが、それを引き継いでどのように実践するのか。片鱗(へんりん)でもいいから胸中を国民に示していただきたい。これから代替わりで発信する機会はいろいろとあるわけですから。その意識は孫の世代にまで伝わると思いますか。

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