■政権交代実現も自民一強に戻る

「山が動いた」。89年の参院選で社会党が大勝し、委員長の土井たか子は喜んだ。リクルート事件や消費増税についての批判を追い風にし、自民党を過半数割れに追い込んだ。

 93年には細川護熙首相の非自民連立政権ができて、自民の一党支配と55年体制が崩れた。作家の大下英治さんはこう指摘する。

「平成とは、簡単に言えば、自民党が2度政権を失った時代だった。平成の始まりから3人(宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一)の首相が代わり、政権は崩れていった」

 細川政権は94年4月に総辞職。社会党委員長の村山富市が首相に就き、自民、社会、新党さきがけの連立政権が実現する。村山政権は自衛隊合憲、日米安保堅持にかじを切り、保革の対立はあいまいに。96年の総選挙から、中選挙区制が小選挙区制になると、同じ党の候補者同士の争いがなくなり、政党のあり方が変わった。

「自民党をぶっ壊す!」

 国民の政治不信が深まるなか、01年に首相になった小泉純一郎は自虐的なフレーズで人気を集めた。構造改革、郵政民営化を旗印に、総選挙では「抵抗勢力」に「刺客」を送った。

 首相のバトンは安倍晋三、福田康夫、麻生太郎とつながるが、09年の総選挙で民主党が単独政党としての史上最多議席を獲得。政権交代に国民の期待は高まったが、すぐに裏切られる形となった。

「最低でも県外」

 民主党政権で初代首相の鳩山由紀夫は、沖縄の米軍普天間飛行場の移設についてそう言い切っていたのに、米側に押し戻された。オバマ大統領に「トラスト・ミー」と訴えても効果なし。後を継いだ菅直人、野田佳彦も消費増税などで国民の信頼を失った。

 12年の総選挙で第2次安倍政権が発足すると、「自民一強」どころか「安倍一強支配」が加速する。

「(森友学園への国有地売却に)私や妻が関係していれば首相も国会議員も辞める」

 森友・加計疑惑をめぐる国会答弁でも傲慢さが目立った。党内から異論は出ず、派閥が競い合った昭和の自民党とは様変わり。

 地方に目を転じると、東国原英夫(宮崎県知事)、橋下徹(大阪府知事、大阪市長)、翁長雄志(沖縄県知事)ら独自色を打ち出した首長が印象に残る。国政の闇が晴れる日は来るのか。(本誌取材班)

週刊朝日  2019年1月4‐11日合併号