「平成流」皇室の在り方から「自民一強」加速まで【言葉で読み解く30年史】 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「平成流」皇室の在り方から「自民一強」加速まで【言葉で読み解く30年史】

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元号を発表した小渕恵三官房長官=1989年 (c)朝日新聞社

元号を発表した小渕恵三官房長官=1989年 (c)朝日新聞社

 平成の終わりまであと4カ月。30年間には様々な出来事があり、そこには言葉があった。私たちを感動させたあの名言から、世間を騒がせた失言までさまざまだ。皇室を取り巻く状況と政界を賑わせた言動を振り返る。

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「新しい元号は平成であります」

 1989年1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御された。その日午後、官房長官の小渕恵三が新元号を発表。墨書の「平成」の文字を両手に掲げて見せた。

 記憶にはっきり残るシーンだが、その平成も終わる。天皇陛下は2016年8月8日にビデオメッセージを発表し、生前退位の意向を国民に伝えた。

「私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました」

 17年6月に特例法が成立し、天皇の「代替わり」の道筋が立った。

 昭和天皇の存在感が色濃かった時代から、国民の目線に立つ「平成流」に──。皇室のあり方は大きく変化した。大地震や豪雨などの自然災害が相次ぎ、ひざをついて被災者と対話を重ねる両陛下の姿が見られた。

 93年に皇太子さまが結婚。外務省のキャリアウーマンだった雅子さまの皇室入りは、新しい皇室像を演出した。が、愛子さま誕生から間もない03年ごろから、雅子さまは「適応障害」による療養生活に入る。

 皇太子さまの心労も大きかった。04年には、記者会見で雅子さまの体調に言及し、皇室の環境に適応しようと努力することで疲れ切っていると指摘。皇室のあり方に疑問を示した。

「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」

 若い男性の皇族が減り、女性皇族を巡る議論も盛んになった。05年には女性・女系天皇も検討すべきだとの意見も高まったが、翌年、秋篠宮家に悠仁親王が誕生し、下火になった。12年には女性皇族が結婚後も皇室に残る「女性宮家」も検討されたが、いまも具体的には進んでいない。

 高円宮家の三女絢子さまが18年10月に結婚して皇籍を離脱し、皇室のメンバーは18人に。うち6人が未婚の若い女性で、皇族は今後も減るとみられる。

「最初にひかれたのは太陽のような明るい笑顔」

 秋篠宮家の長女眞子さまは17年9月の婚約内定会見で、小室圭さんについてそう語った。だが、小室家の金銭トラブルが判明し、20年まで延期された結婚そのものが不透明になっている。


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