千田:その限界を超えたのが、やはり信長でしょうね。清須城、小牧山城、岐阜城、安土城と引っ越して居城を移してしまえば、領地拡張も可能です。でも家臣は先祖代々の土地から動かない、引っ越したくない(笑)。

磯田:信長・秀吉・家康の時代には、家臣が「大名チーム」の一員に属し、国替えが当たり前になりました。盛んに奉公して、どこでもいいから領地をたくさんもらおうという時代になる。

千田:城下町づくりで信長が凄かったのは、軍事テクノロジーに基づいた求心的な城に、家臣屋敷を組み込んで家臣に序列を与えて配置したところです。それが江戸時代の城下町の原型で、偉い人は中心、偉くない人は外れに住むという形ができたわけです。

磯田:信長・家康の時代は「秩序の時代」ですから、そういった身分制度がはっきりしてきて、段々と滅私奉公のような忠誠心を求められるようになっていきました。

──お二方にとって、理想的な組織、そうでない組織とはどんなものでしょうか。

千田:織田家はベンチャー気質。前職や学歴も問わずで「ひと旗あげてやろう」という気概を持っている人にとっては魅力的です。ただ、そうでない人にとっては、いつクビになるかわからない、ブラックな組織ですよ。島津家も面白そうですが、マジカルな要素がありました。合戦の前に神社にお詣りして、くじを引いて戦うか決定したり、敵軍の上空に立ち上る「気」を観察して戦ったりしました。まじない好きならお勧めです。組織力があって攻められても安心という点では、やはり北条家でしょうか。

磯田:家臣の立場からいえば、逆に上杉家はきつい。山越えをして戦いに行っても、領地はあまりもらえない。謙信は自軍を川に飛び込ませたり無茶も命じる。信長も怖い。重臣の柴田勝家に『掟書』を出して「我ある方へは足をも差さざるように……」、つまり「俺に足を向けて寝るな」と絶対の忠誠を求めました。秀吉軍もそうですが、兵農分離で作った直属の軍勢はフル回転で、合戦の参加頻度も高いから強い軍ですが、兵にとっては厳しい。家康軍も厳しくて、井伊直政や松平忠吉は関ヶ原の最前線で戦って重傷を負いました。その点、毛利は楽です(笑)。大きい合戦があれば参加して、山の上に一緒に布陣していればいい。高松城の戦いでも遠巻きにして清水宗治に腹を切らせているし、関ヶ原では誰も怪我せずに帰った。一貫していましたね。

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