清水建宇(たてお)さん(71)は、大手新聞社を定年退職後、スペイン・バルセロナに夫婦で移住。2010年から豆腐店「東風(とうふ)カタラン」を営んでいる。

「39歳から40歳にかけて、取材で世界15カ国21都市を回りました。そのときバルセロナという街に魅了されたのです」

 そして49歳のとき勤続25周年の休暇をもらい、妻とスペインへ5泊6日の旅に。バルセロナには2泊。

「妻もバルセロナを気に入って、退職後の移住に賛成してくれました。ただし移住後も日本食が食べたいので、食材のことを調べたのです。米はスペイン産を安く買えますし、醤油も味噌も売っていました。しかし私の大好物である豆腐や油揚げは似て非なるものしかない。これは自分で作って、日本の食文化を世界に広げていくしかないなと(笑)」

 退職したら、バルセロナで豆腐屋になる。清水さんがそう決意したのは、50歳のころだ。まず行ったのは、預貯金を集めて日本にあるスペインの銀行支店に、現地通貨建てで預金をすること。為替相場がどう動くかわからないからである。

「金額はわずかでしたが、その銀行が日本支店を閉じることになったとき、口座所有者はスペインの本店に『非居住者』の口座を開けることになりました。おかげで労せずして、スペイン本国に銀行口座を持つことができました。そして定年退職後、退職金とマンションを売ったお金をこの口座に送り、開業の費用に充てることができたのです」

 それから50歳で始めたことは、もうひとつ。

「家族に対しても職場の同僚に対しても『バルセロナで豆腐屋になる』と吹聴したのです。決めた道を踏み外したり、後戻りしないように、自分にプレッシャーをかけ、追い込んでいったんですよ」

 そして60歳で定年退職後、すぐに3カ月間スペイン語学校に通う。豆腐屋の朝は午前4時ごろから始まる。

「そこで自宅から自転車で通える豆腐屋さんに『修業させてほしい』とお願いしました。最初の2軒は断られ、3軒目は『見るだけ』という条件。その豆腐屋さんが紹介してくれた豆腐店で作業のすべてを体験させてもらい、自分でもやれそうだと納得してから渡航準備を始めました」

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