対岸の下関側から海峡を見る葉室さん。<下関は近代日本にとって大きな意味を持つ都市だ。日清戦争の講和条約は下関で締結された>(撮影/佐々木亮)
対岸の下関側から海峡を見る葉室さん。<下関は近代日本にとって大きな意味を持つ都市だ。日清戦争の講和条約は下関で締結された>(撮影/佐々木亮)

 昨年末に急逝した歴史作家・葉室麟さん。晩年、「生きてきた時間の中で通り過ぎた場所」への旅を続け、紀行文を朝日新聞に連載していた。生まれ育った福岡・小倉をはじめ主に九州を回った旅は、歴史上の脇役にも光を当てるものだった。

【写真特集】葉室麟さん最後の旅路

<旅に出ようと思った。

遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ>(< >は著書からの引用。以下同)

 という書き出しで、故・葉室麟さんの紀行文は始まる。

 2015年4月11日から朝日新聞(西部本社版)紙上で「曙光を旅する」という連載が始まった。最初の旅先に選んだのは、福岡県の小倉。葉室さんが小学5年生まで育った地だ。

 門司港と関門海峡を望む手向山公園に上り、長州軍と幕府軍とが激しく戦った鳥越峠と忘言亭山を眺めた。<幕府の滅亡への岐路となった>場である。

 他方で対岸の山口・下関では、明治28年に日清講和条約が締結された。

<長州征伐の際、高杉が小倉を攻めた戦いから29年後である。

 東アジアの島国に誕生した日本という近代国家は内戦からわずかな歳月の間に対外戦争を行っていた。

 歴史の流れは思いがけなく速い>

 この連載開始のきっかけについて、担当した佐々木亮記者が説明する。

「葉室さんの行きつけである西鉄久留米駅前の立ち飲み屋のマスターの紹介で、初めてお目にかかりました。2度目にご一緒した時に『司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のような歴史紀行を』とお願いしたら、『そういうのをやりたかったんだよ』と即答いただいたんです。勝者よりも、挫折や敗北を経験しながらも屈しなかった人に、主に焦点を当てることになりました」

 佐々木記者は17年初夏、葉室さんから病院に呼び出された。

病気のこと、困難な戦いに挑む決意を明かしてくれたうえで、『旅は続ける。伴走してほしい』と頼まれました」

 葉室さんは、<歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を>歩いた「旅」の書籍化も熱望した。このたび刊行された遺作『曙光を旅する』で、歴史の脇役たちの生き様と出会うことができる。(文/本誌・菊地武顕)

週刊朝日  2018年11月30日号