伊東四朗(いとう・しろう)/喜劇役者。1937年、東京生まれ。21歳で石井均氏の劇団に参加。63年に「てんぷくトリオ」を結成し、舞台やテレビで大人気となる。68年ごろから役者としても活躍し、数多くの舞台やドラマ、ラジオ、映画に出演。「伊東家の食卓」などバラエティー番組でも人気を博し、現在も第一線で活躍を続けている(撮影/小原雄輝・写真部)
伊東四朗(いとう・しろう)/喜劇役者。1937年、東京生まれ。21歳で石井均氏の劇団に参加。63年に「てんぷくトリオ」を結成し、舞台やテレビで大人気となる。68年ごろから役者としても活躍し、数多くの舞台やドラマ、ラジオ、映画に出演。「伊東家の食卓」などバラエティー番組でも人気を博し、現在も第一線で活躍を続けている(撮影/小原雄輝・写真部)
伊東四朗さん(撮影/小原雄輝・写真部)
伊東四朗さん(撮影/小原雄輝・写真部)

 もし、あのとき、別の選択をしていたなら──。ひょんなことから運命は回り出します。人生に「if」はありませんが、誰しも実はやりたかったこと、やり残したこと、できたはずのことがあるのではないでしょうか。昭和から平成と激動の時代を切り開いてきた著名人に、人生の岐路に立ち返ってもらい、「もう一つの自分史」を語ってもらいます。今回は喜劇役者の伊東四朗さんです。

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 高校卒業して就職試験に全滅しましたからね。もしも、っていえば、あのときどこかに受かっていれば定年まで勤めあげて、いまごろ何してるかな、って感じですけど、幸か不幸か全部落っこちちゃった。筆記試験は通るんです。でも面接で落とされる。コネで口をきいてもらった会社の面接にまで落っこったんだから。「よっぽど面接向きの顔じゃないのかなあ」って、落ち込みましたねえ。

 それでも役者になってからは、こんな怖い顔をしてるっていうのも感謝するようになりました。あるとき、山藤章二さんが何かに書いてくださったんです。「喜劇役者というものは総じて普段は怖い顔をしている人が多い。三木のり平、渥美清しかり。なかでもピカイチなのは伊東四朗だ」って。

 考えてみれば、どんな役でもできる人に見られるのかなと。伊丹十三監督の「ミンボーの女」のメイク合わせのときに「監督、怖くするために、このへんにシャドー入れたりしますか?」って言ったら「いや、伊東さんはそのままノーメイクでいいです」って(笑)。あれもショックだったなあ。

――いまとなっては、不採用とした会社に感謝するしかない。「てんぷくトリオ」や「電線音頭」に栄養ドリンク「タフマン」のコマーシャル、実写版「笑ゥせぇるすまん」……。さまざまな顔でわれわれを魅了する名役者の道のりは、就職の失敗から始まっていた。

 私はこれからどうやって生きていくんだろう。そう思っていたとき、早稲田の学生だった兄貴が「生協でアルバイトでもやれ」と。まあ、いま考えても時給30円は安いんじゃないかと思うんですけどね(笑)。

 で、アルバイト生活をしながら歌舞伎をよく観に行ったんです。お金がなかったから、大きな声じゃ言えないけど、インチキな方法も使いました。一番簡単なのは、はとバスの団体客にくっついて入っちゃう。ただ歌舞伎座の前で、必ず記念撮影をしなきゃならないんですよ。だから私が写ってる写真を持ってる方が、世の中にたくさんいらっしゃるんじゃないかなと(笑)。

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