しかも彼は本番が始まるまで、シナリオを開きもせず、普通に周囲と会話していたんです。オンオフの切り替えができるとかそういうレベルではなくて、生きていることと芝居をすることが、本当に同レベルにできる水準なんだなと驚かされました。これは、相当優秀な人にしかできません。どうしてもお芝居スイッチが入ったり、緊張を持ち込んでしまったり、リラックスしようとするあまりラフになったりするものなんですよ。

 脚本家が頭で考えた作りものをリアルに見せるのが俳優ですが、その最大の障害となるのが、じつはシナリオなんです。俳優にとって、自分の役割やセリフが書かれているシナリオは、バイブルであると同時に、“未来がわかる人”にしてしまう厄介な存在でもある。人は一瞬先に何が起こるのかわからないリアルで生きているものなのに、俳優には未来が見えるというアンリアルを与えられる。だから、ともすると、自分のセリフに追われたり、先走ったりしてしまう。

 この障害を克服するためには、相手をちゃんと見ること、ちゃんと聞くこと、ちゃんと伝えることが必要なんですが、圭くんはそれが高いレベルでできる人。実人生を生きるのと同じように相手と向き合っているから、何度同じ芝居をやっても同じ鮮度が保てるし、どのシーンを切り取ってもリアリティがある。

 芝居は自分がどう表現するかじゃなくて、人と一緒に作るものだと、ロジックではなく、彼が10代から積み上げてきた体験から知ったんだと思います。人は誰でも“うまくやりたい”と思うものですが、自分以外のもののために……相手役のため、作品のため、お客さまのためにひたすら生きることが、俳優のスタートラインだということに、頭ではなくて体で気づいたんじゃないでしょうか。

 だから彼には、虚栄心とか、優越感とか、劣等感とか、芝居にとって邪魔なものが一切ない。とってもナチュラルですよね。それが俳優・田中圭の最大の魅力だと思います。

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新垣結衣に見せた振る舞い