クラブやキャバレーで歌ったり、ディック・ミネさんや淡谷のり子さんの前座で地方に行ったり、それなりに楽しかったですよ。それに、とにかくモテた。歌っていうのは本能に響くんでしょうね。動物が鳴き声で異性に求愛するのと同じで。

 舞台が終わると、劇場の外に女性が何人も待ってるんです。ふと気が付くと、宿泊先の部屋に女性がいる。とても充実した日々でしたね。

 でも、30歳を超えると、歌手というのは曲がり角を迎えるんです。

 ちょうどその年齢を過ぎたころ、同じクラブで歌っていた若い女性歌手がデビューし、大ヒットしましてね。その歌手は青江三奈です。明るくてがんばり屋で、いい子でしたね。僕を兄と慕ってくれていたので、彼女が売れたときは、自分のことのようにうれしかったです。その一方で、「俺はこのままでいいのか」と焦る気持ちも募りました。

 また例によって横道にそれていくわけですが、何となく小説を書き始めました。それが雑誌「新潮」が全国の同人雑誌から選んだ10篇に入ったんです。夕刊で見つけた「シナリオ作家養成教室」に通ってみようと思ったのも、そのことがあったからでしょうね。半年間、昼はシナリオ教室、夜はナイトクラブで歌うという生活。教室に通っているうちに、自分の中での手ごたえみたいなものを強く感じたんです。

 初めて書いた脚本を新人コンクールに送ったら、準入選に選ばれました。そのときは入選作はなかったので、事実上の1位です。このことがきっかけで、脚本家への道をおそるおそる歩き始めたんです。

 振り返れば、中学のときに演劇の脚本を書いたことが原点かもしれない。めぐりめぐって元に戻ってきた感じですね。

――以降、歌手をやめて脚本家に専念。ヒットドラマを次々に生み出した。そしてついに、NHKから朝の連続テレビ小説の脚本の依頼を受ける。1985年放送の沢口靖子主演の「澪つくし」だ。

 いよいよ朝ドラかと思うと、武者震いがしましたね。入念に執筆の準備を進めていましたが、どうも体調がよくない。病院で検査したら、脳に腫瘍が発見されました。幸い手術がうまくいきましたが、一時は死を覚悟しました。好事魔多しとは、このことです。

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