宇崎竜童(うざき・りゅうどう)/1946年、京都府生まれ。75年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。妻の阿木燿子とのコンビで、山口百恵の全盛期を支えた。ドラマ出演、映画・舞台音楽や監督など、多方面で活躍(撮影/遠崎智宏)
宇崎竜童(うざき・りゅうどう)/1946年、京都府生まれ。75年、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」が大ヒット。妻の阿木燿子とのコンビで、山口百恵の全盛期を支えた。ドラマ出演、映画・舞台音楽や監督など、多方面で活躍(撮影/遠崎智宏)

「阿木燿子に尊敬されたい。褒められたい。半世紀前に彼女と出会ったときから、いつも心のどこかにそういう思いがありますね。実際には、なかなか褒められないんだけど(笑)」

 芸能界きってのおしどり夫婦である宇崎竜童さんと阿木さんが、“子育て”と呼ぶ作品がある。近松門左衛門の曽根崎心中を、フラメンコを使って表現した「フラメンコ曽根崎心中」は、プロデュースと作詞を阿木さんが、音楽監督と作曲を宇崎さんが手がける。17年前に生まれたこの舞台が、今年「Ay(アイ)曽根崎心中」とタイトルを変え、これまでで最大規模の公演数で上演することに。

「70年代、増村保造監督からお声をかけていただいて映画『曽根崎心中』に出演するまで、僕はこの作品のことを知らなかった。監督に叱られながら、何とか一本撮ったものの、試写を観て愕然としました。当たり前ですが、僕自身が全く役者として仕上がってなかった。一旦は絶望したけど、いつかリベンジするぞと心に誓って」

 翌年、今度は文楽とコラボする話が持ち上がり、阿木さんと一緒に「ROCK曽根崎心中」という舞台を作り上げた。その何年か後に阿木さんがフラメンコに夢中になったことがきっかけで、フラメンコと曽根崎心中を融合させた舞台が誕生した。

「いつしか、僕らのライフワークになったので、年がら年中、この作品のことが頭の中を駆け巡っています。今まで関わってくれた人でこの舞台に取り憑かれた人も多いし、少なくとも僕と阿木は、これをやっているときは、苦しみながらも生き生きしてると思う(笑)。自分たちが生み育てた子供のような作品だけど、音楽家としてプロデューサーとして人間として、こっちも育てられる。いろんなことを教えられ、鞭打たれ、励まされ、学ばされている」

 今年のタイトルの“Ay(アイ)”とは、スペイン語の感嘆詞で、フラメンコの唄い手たちは、心の底から深い悲哀や苦悩が湧き上がったとき“Ay(アイ)”と声にするそうだ。

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