【文豪の湯宿】著書100冊超の吉川英治が“産声”上げた宿とは? 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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【文豪の湯宿】著書100冊超の吉川英治が“産声”上げた宿とは?

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鈴木裕也週刊朝日
越後屋旅館/明治初期に建てられた木造3階建て。明治後期に改築した浴場のコウモリ柄のタイルは一見の価値がある/長野県山ノ内町佐野2346-1

越後屋旅館/明治初期に建てられた木造3階建て。明治後期に改築した浴場のコウモリ柄のタイルは一見の価値がある/長野県山ノ内町佐野2346-1

吉川英治直筆の書「三佳亭」は「山川一佳、天泉一佳、人情一佳」という意味

吉川英治直筆の書「三佳亭」は「山川一佳、天泉一佳、人情一佳」という意味

 文豪たちの作品に登場する温泉宿を訪ねる連載「文豪の湯宿」。今回は「吉川英治」の「越後屋旅館」(長野県・角間温泉)だ。

【写真】吉川英治直筆の書「三佳亭」

*  *  *
 大正12年9月1日に発生した関東大震災は、31歳の吉川英治に大きな決断をさせた。勤めていた新聞社は社屋が焼失し、再建のめどが立たず全社員解散と決まった。しばらくの間、牛飯売りで糊口を凌ぐうちに、文学こそが進むべき道だと考えるにいたる。10月、身辺のものを売り払った資金で温泉宿に籠もり、所持金が尽きるまで1年余り、勉強と執筆に明け暮れた。その宿が越後屋旅館だ。

 逗留中は酒も飲まず、地味な紬縞の着物で過ごしたという。唯一の娯楽は宿の当主との散歩。近所の寺の和尚と土手で摘んだ野草を煮て食べたり、農家が収穫したばかりの野菜をその場でかじったりもした。

 滞在中に書いた小説数編を、朝山李四など、複数の変名を使い出版社に送った。その中で長編『剣魔侠菩薩』が雑誌に掲載されると、少しずつ原稿の依頼が来るようになる。

 この地で書き始めた『剣難女難』が注目を集めて流行作家になり、自由には動けなくなる。当主へ宛てた手紙に「会いたし、会いたし」と書くが、再訪は実現しなかった。

 著書100冊を超える国民的作家が産声を上げた宿といえるだろう。(文/本誌・鈴木裕也)

■越後屋旅館(えちごやりょかん)
長野県山ノ内町佐野2346-1

週刊朝日  2018年10月26日号


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