でも、だんだんむなしくなってきたんです。「平成教育委員会」のスペシャルの収録のときだったかな、病気で一時期お休みしていた逸見政孝さんが復活して、テレビ局のトイレで会ったんです。僕が「よかったですね」と声をかけたら、逸見さんが「志茂田さん、疲れませんか」って言ったんですよね。

 そのときは分からなかったんですけど、心の奥でその言葉がだんだん大きくなっていったんです。このままじゃいけないという気持ちがあって、心の中の空洞に逸見さんの言葉が響いたんじゃないかと思います。

 1996年に、自分が本当に出したい本を出版して、新しい才能を世に送り出すために、「KIBA BOOK」という出版社を立ち上げました。社名を「KIBA BOOK」にしたのは、『黄色い牙』の原点に戻ろうという気持ちから。あれを書いたときには、たとえば主人公が冬山で遭難した仲間を助けに行く場面で、たった数行の描写がなかなか書けなかった。苦しかったけど、それが楽しかったんですよね。そんな気持ちを取り戻したかったんです。

 ただ、テレビに出まくったことや、口述筆記で作品を量産したことは、後悔していません。それはそれで楽しかったし、それが志茂田景樹の個性の一つだったわけですから。

――私生活も、修行僧のような生き方とはかけはなれていた。夫婦生活は一時期、破たん状態に。売れっ子作家になった志茂田が、ほかの女性と暮らし始めたことが原因だった。

 作家になる前から、束縛というものが極めて苦手で、ひとつの場所に落ち着いていることができなかった。今でも、ひとりになりたいなと思うこともあるんですよね。もう家を飛び出したり、女性とどうこうしたりする気もありませんけど、この性分は、どうしようもありません。

 怒られそうですが、あのときはそうするしかなかったんですよね。ある種の開き直りですが、別の家だけど、同じ地球上にいるからいいんじゃないかと思っているところもありました。妻も相手の女性も深く傷つけておいて、そんな言い草はないだろうとわれながら思いますけど。

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